『臙脂の小箱』 |
ピアニスト浜井美沙は、ちょっとした所用で息子の部屋に入ったとき、それに気付いた。 息子の蓮は、現役高校生男子にもかかわらず、老成している。 音楽に対して呆れるほどにストイックで、その音楽がまるで人生のすべてだといわんばかりに、周囲に興味を抱こうとしない。 年相応に、もう少しわがままに振舞って欲しいのだが。 こちらは親なのだから、甘えてももらいたい。 それとも、それが、息子なりの反抗期の形なのだろうか? ――― とさえ思ってしまっていた頃だったから、それに気付いて、つい面食らってしまった。 きちんと片付いてはいるものの、何とはなしに換気をしてベッドを整えたり、手近な楽譜を揃えたりをして部屋のあちこちを触っていた。 深い意味はなかった。 本当に、ただなんとなく、机の引き出しに手をかけたのだ。 上から二番目の引き出し。 そこに、えんじ色の小箱があった。蓋にはピンクのリボンがかけられてある。 美沙は、すぐに思い当たる。 先週半ばに、バレンタインがあった……。 いけないとは思いつつも、そっと手を伸ばし、蓋を開けてみた。 メッセージカードは、入っていない。別の場所にしまってあるのかもしれない。 小箱には、ごくごく薄いピンクの包みの中に、いかにも手作りらしいチョコレートが幾つか入っていた。 つまんだあとが、ある。 美沙は、ほうっと吐息しながら、もとのように蓋をし、静かに引き出しを閉めた。 思わず、顔がほころんでしまう。 昔から、蓮が毎年バレンタインにチョコを幾つかもらっているらしいことは知っていた。親ならば、特にこの時期、息子が女の子たちにもてるのかどうか、気にならないわけがない。それとなく周囲に気を配り、親バカとは思いながらも息子の様子を把握していた。 ただ、女の子からチョコをもらっても、それを家に持ち帰ってきたことは、一度もなかった。 小学高学年時代からまさに去年まで、こっそり部屋を探ったこともあったが、いつも無駄だったせいで今年はすっかり諦めていたのだ。 (でも ――― ) どうやら息子は、親の気持ちをはるか超えたところで、いろいろと成長しているらしい。 蓮が奏でる曲も、技術ばかりが先行して他人行儀な音が多かったが、最近では、ひとの気持ちに寄り添うような柔らかさが出せるようになっている。 美沙の脳裏に、ひとりの少女の姿が浮かび上がる。 くるんとした大きな目が印象的で、肩を越える髪をした ――― 。 (確か、日野……香穂子さんと、いったかしら……?) まっすぐな目で、蓮を見ていた。はきはきしていて、礼儀正しい少女だった。 学内音楽コンクールの出席者。同じバイオリン奏者。 そういえば、セレクションを重ねるごと、蓮から刺々しさがなくなり、ひとあたりがまるくなってきたように思える。 (彼女の、影響だったのかしら?) 蓮は、彼女を想いながら部屋でこっそりチョコをつまんでいたのだろう。 そう思うと、自然に笑みがこぼれてしまう。 (なんだ……) 美沙は蓮が戻ってくる前にと、足音を忍ばせながらもいそいそと部屋をあとにした。 音を立てないよう、ゆっくりとドアを閉め、思いに浸る。 ――― うちの息子も、年相応じゃないの。 |
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