『ロンドン日和』



 今日は思ったよりも買い物に時間がかかってしまった。
 エマは早足で、いつもの店に向かう。
 いつからか、ウィリアムとはこの店で待ち合わせるようになっていた。
 逢う約束をとりつけているわけでも、店に用事があるわけでもない。
 市場とストウナー家の間にその店がある、それだけのはずだったのに。
 今日はいないかもしれない。
 もう帰ってしまったかも。
 そう思いながらも、期待を胸にショウウィンドウを覗いてみる。
「あ」
 ガラスを挟んだすぐそこに、ウィリアムの緑色の瞳があった。
 エマを見つけて、その顔がぱっと華やぐ。
 店主に軽く手を上げながら何かを言うと、彼は小走りに出てきた。
「こんにちは、エマさん」
 声が弾んでいる。
「こんにちは」
 ごく自然に、ウィリアムはエマから籠を受け取った。腕にかかったその重さに、思わず籠を確かめる。
「今日は少し重たいですね」
「にんじんを多めに買ったものですから」
「ホントだ」
「お客さまが、明日3組いらっしゃるので」
「3組も? 準備が大変だ」
 小さく驚いて見せるウィリアム。
「ええ。でも、楽しみです」
 微笑むエマに、ウィリアムの心は奪われてしまう。
「今日……」
「は、はい?」
 ウィリアムはエマの言葉を聞き逃してしまった。
「今日は、お店の前を通るのが遅くなってしまって。すみません」
「え……。何のことです?」
「もしかして、待っていてくださったのではないかと……」
 ウィリアムは首を振った。
「わたしもいまのいま着いたところだったんです」
「そう、だったんですか?」
「ええ。すれ違わなくてよかった」
 嬉しそうに笑うウィリアム。
 エマはほっとした。
 安心したような表情を浮かべた彼女に、ウィリアムは内心胸をなでおろす。
(よかった。気付かれなくて)
 実は、ウィリアムはもうずっと前から待っていたのだ。
 来たばかりというのは、もちろん嘘である。
 もうすっかり見慣れてしまった店の品を珍しげに眺めながら、エマがやってくるのをいまかいまかと待っていたのである。
 いつもよりも長い時間待っていると、何かあったのでは? 男性に声でも掛けられているのではと気が気でなかった。
 背中には店員の気になる視線。
 どうしようか、ストウナー家に行ってみようかとまで思ったとき、ちょうどエマが現れたのである。
 いろいろととりとめもない話をしながら、エマとウィリアムはストウナー家へ歩いてゆく。
 そんなふたりの背中に道行く人々の姿が重なってゆき、間に紛れ、見えなくなる。
 交わす言葉は、雑踏のざわめきにかき消されてゆく。
 ロンドンは今日も、平和である。



英國戀物語 エマ 一覧へ
おしながきへ