『夏夜 ―zirconia』 |
その日、たまにはこういう時間も大切だと、トグサは子供たちを友人に預けて妻とふたり、夏祭りに出かけることにした。 浴衣も用意し、ふたりともそれに着替えての外出である。 久しぶりに見る妻の浴衣姿。髪を上げたうなじが、艶めいて眩しく、子供をふたり産んだとは思えないほどかわいらしかった。 彼女が自分の妻であることが、トグサには誇らしくてならない。 そんな彼女を他の男の目にさらしたくないという思いはあったが、隣に連れて自慢したい気持ちも、正直あった。 だから、実際周囲の男たちが妻をちらちら気にしている様子に、トグサは密かな優越感と小さな警戒心を抱いてしまう。こんなにもかわいい女性は、きっとどこにもいない。 妻は周囲の視線に気付きもせず、夜風に吹かれながら神社の境内に並べられた屋台をあちこち覗いていた。 「ねえ、りんご飴。美味しそう、いい?」 「買おうか? ―――すいません、このりんご飴を、ひとつ。……ありがとう」 トグサは袂を気にしながら、りんご飴を受け取る。いろんな色のものがあったが、赤色のものを選んで妻に渡した。 「ありがとう」 「ん」 妻はぺろとりんご飴を舐める。 「美味しい」 「いい?」 トグサも妻からりんご飴をもらって舐める。りんごの風味と独特の甘い味が舌の上に広がった。 「美味い。この味、懐かしいなあ」 「そうねえ」 夏祭りは混みあっていた。ふたりの距離は、自然に近付いてゆく。いつもなら間に子供がいるから、間近な距離は新鮮でちょっと気恥ずかしい。 ふたりは独身時代か新婚時代に戻った気分で、屋台の間を歩いてゆく。 輪投げがあった。てのひらに乗るくらいの小さなヒヨコのぬいぐるみを彼女は取った。 ボールすくいがあり、風船があり、たこ焼きがあり、焼きそばがある。子供たちの大好きなキャラクターのお面を売っていたので、どちらともなくふたりぶん買った。 射的もあった。もちろんトグサが外すわけがない。難なくクマのぬいぐるみとミニカーを獲得する。 「にいちゃん上手いねえ」 そばで見ていたオヤジ客が、トグサの腕に感心する。 にいちゃんと呼ばれるなど思ってもなかったから、トグサは妻と顔を見合わせた。彼女は、「やったね」と嬉しそうに小声で喜んでくれた。 コルク弾はあと1発。 「何が欲しい?」 トグサは妻に訊く。彼女はちらりと上目遣いに夫を見上げた。 「8番の、イヤリング」 それは、明らかに大量生産と判るものだった。 「あんなのが?」 妻は頷く。 そういえば、彼女はアクセサリー類をあまり着けたことがない。プレゼントしたことももうずっと、いや、もしかすると一度もなかったのでは? 「あんなのじゃなくて、もっといいのを買ってやるよ」 「あれがいいの。あなたが、こうやって取ってくれることが嬉しいの」 「……ん」 汚れのない眼差しでそう頼まれれば、マテバで撃ち取ってしまってもいい。たとえ整備不良の銃であろうと目隠しをされていようと、必ず仕留めてやる。 いつになく真剣に、トグサは狙いを定めた。 ―――ぱこん! トグサと妻の前で、成り行きを見守る他の客たちの前で、8と書かれた札が音を立てて倒れ落ちた。 思わず、トグサはガッツポーズを決める。 「おっちゃんすげー」 小学生くらいの男の子が、声を上げた。 さすがにこの年の子にとっては、「にいちゃん」ではなく「おっちゃん」らしい。 少年にもガッツポーズを返し、トグサは店主からイヤリングを受け取った。それは小さな青いジルコニアがひとつあるだけの、きわめてシンプルなものだった。 それを受け取ったときの妻の顔を、トグサはきっと忘れないだろう。 「着けてもいい?」 あまりにも嬉しそうに訊く妻に、トグサは頷いて返した。 ひとごみを避けた神楽殿の隅で、彼女は器用にイヤリングを着けてゆく。耳に着けた姿を見ると、意外にもジルコニアの青は控え目で、浴衣姿によく似合っていた。 「似合う? どう?」 「……」 「ねえ」 「……あ?」 「似合わ、ない?」 「いや、そんなことは、ないよ、全然」 イヤリングを着けた彼女はとてもかわいくて、でもそれを口にするのが、とても恥ずかしい。 「その……、似合ってる、すごく」 ぼそぼそとトグサ。そんな夫に、彼女は付き合い始めたばかりの頃を思い出す。 そういえば、昔からこのひとはまっすぐすぎて照れ屋さんだった。 (かわいい) 「……ナンだよ」 「ううん。何でもない。ありがとね」 歩き出そうとする彼女の腕を、トグサは掴んだ。 何? と彼女が問うより早く、トグサは腰をかがめて妻の唇に触れた。 りんご飴の味がする。 「おれだけ、まだ何ももらってなかったから」 トグサは、妻の耳に輝くイヤリングを指で軽くはじいた。 遠くから、和太鼓の音が響いてきた。 盆踊りが始まるのかもしれない。 神楽殿の周囲にも、広場へと動き出すひとの流れがあった。 でももうしばらくふたりは、ここを動く様子はなさそうだった。 |
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