『東より渡る風』



 エステルはアベルに連れられ、夕暮れようとする野原を歩いていた。
 任務中でもその帰りでもない。
 ただ ――― 、アベルも同じものを感じていると直感したから、一緒にここまでやってきた。
 この日、庁舎で気持ちをさざめかせて仕事をしていたエステルに、彼は声をかけてきた。
 『風に、当たりに行きませんか?』
 その声音は、アベルの中にも、言いようもない切なさがあると告げていた。
 自分自身の心の中を心地よく見透かされ、同士を見つけたような気がして、こうして郊外の何もない夏草の生える一帯にやってきたのだ。
 草の間を歩きながら、ただぬるく流れる風に身を任せる。
 言葉もなく、意識を無にして空を見上げていると、胸の奥底から湧き上がってくる切なく、あたたかで幸福な悲しみのようなものが、身体の内側へと染みこんでくる。
 この感情が何なのか、エステルには判らない。
 7月に入ったあたりからだろうか、もっと前からだろうか、この不思議な感覚は日に日に強くなっていた。
 身を引き裂かれるような悲しみと、抱えきれないほどの幸せな気持ち。
 苦しくて苦しくて、なのに甘美に胸は震える……。
 ざざあっとひときわ大きな音をたてて、東からの風が野を渡ってきた。
 数歩離れたところで佇んでいるアベルも、風のひとかけらすら洩らさぬかのように、じっと全身で風を受け止めている。
 渡ってきた風に、ふたりの視線が絡まりあう。
 アベルはどこか儚げな笑みを浮かべた。
 きっと自分も同じ表情をしているのだろう。
 どうにも表現しようのない想いが、アベルの中にもある。
 言葉として表すことはないけれど、アベルと同じものを自分は感じている。
 アベルがここにいる。
 それだけでよかった。
 それだけで、わだかまっている想いが癒される。
 この想いに、あらがう必要はないのだと。
(あ ――― )
 風がやってくる。
 草の海にうねりを描きながら、大きくて優しい風が。
 まるで、会ったことのない父親に抱きしめられているような、そんな安堵をもたらす風が ――― 。
 途方もなく、愛しくてたまらない。
 苦しいくらいに、悲しくて切なくて。
 涙が頬を伝う。
 伝うが、これは拭わなくてもいい涙だと、エステルもアベルも、判っていた。
 だからただじっと、静かにふたりは流れる風に身を任せ続けていた。
 日が落ち、空が闇に染まるまで。
 愛しい風が、通り過ぎゆくまで ――― 。

―――――― the day 15 July .....



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