〜時空迷子 十二国記編〜
 
 
 見渡す限り、のっぺらとした光景。
 縦ではなく、横に広がる家並み。
(……というか、農村じゃん)
 土と畑と木とみすぼらしい家々。
 ここは、どこなんだ?
(今度はどこに迷い込んだのかな。トトロとか……?)
 遠景に農村を望みながら、彼女は道の真ん中にぽつねんと佇んでいた。
 テレビのリモコンを取ろうと立ち上がった途端、この世界に放りこまれていたのだ。
 何度も時空迷子になった経験が、彼女を多少は冷静にさせていた。
(別にヘンなとこじゃなきゃどうでもいいんだけど。さて。どうしようかな)
「どうしたんだ?」
「ぅわぁっ!」
 いきなり、背後から声がかけられた。
 彼女は文字通り飛び上がって驚いた。
「何突っ立ってるんだ?」
 振り返ってみると、そこに一匹のネズミがいた。
 ――― いや。一匹というよりも、一頭としたほうがいいのかもしれない。
 そのネズミの大きさは、彼女の胸元くらいもあるのだ。
 2本の後ろ肢でしっかりと直立までしている。
 もしかして。
「あの……、ひと違いだったらすいません。えっと、もしかして、楽俊、ですか?」
 今度はネズミがぎょっとした。
 ふかふかの尻尾がぴんと硬直する。
「どうしておいらの名前を!?」
 声が混乱している。
「あたし。こっちの人間じゃないんです。なんか、時空を、迷子になったようで」
「時空を迷子? 海客ってことか?」
「そうじゃなくて。あ、ほら、あたし、ちゃんと言葉通じるでしょ? もちろん、仙じゃないよ。あ、山客でもないんだけど」
「確かに、少なくともその格好はこっちのじゃねえし、言葉もちゃんと通じるな」
 だが、楽俊の警戒は解けない。
 手綱を持っている虎のような騎獣 ―― おそらくたまだろう ―― はしかし、彼女を見るものほほんとしている。
「えっと、あたしの世界では、こっちのことを知ることができるんです。景王の陽子が登極までにすごく苦労したこととか、その後の苦労とか、楽俊が雁の大学に行ってることとか……」
「どうやって判るんだ? 実際ここで見たわけじゃないんだろう?」
「うん。その、小説とか、そういうので」
 楽俊は、ネズミ顔の眉間にしわをくっきりと寄せて考えている。
 どうやら、楽俊は時空迷子という存在を知らないらしい。
(普通は知らないよね)
 だから、楽俊が混乱するのも仕方がない。
「あの……、ごめんね、びっくりさせて。たぶん、しばらくすれば出口が見つかると思うから」
「……」
「何かの用事の途中なんじゃないの? 急がないと、遅れちゃうんじゃない?」
「いんや。それは大丈夫だ」
 楽俊はきっぱりと言った。
「とにかく大層な迷子らしいが、これからどうすればいいのか判ってんのか?」
 訊かれ、彼女は首を振る。
「判んない。いままでは迷いこんだ先のひとが、出口を知ってたから、すぐに戻れたんだけど……、楽俊は知らないみたいだし、でもまあ、何とかなるんじゃないのかな」
「何とかなるって、ちょっと楽観的過ぎないか?」
「……かな。でもまあ、戻れなくても、いいかな、なんて思ったり」
「どうしてだ? おまえにだって家族とか友達とかいるだろ?」
「いるけど。……ちょっとね、疲れちゃったというか」
 力ない彼女を、楽俊はじっと見上げた。
「おまえ……腹、空いてるだろ?」
「 ――― は?」
 話の内容を無視した発言に、彼女の思考が止まる。
「腹が空くから、疲れたりするんだ。ほら。一個だけど握り飯がある。食べな」
 言って楽俊は、荷物をごそごそ探して、小さな手で握り飯らしい包みを差し出した。
「あのぅ……」
「美味いぞ。なんてったって、おいらの手作りだ」
 なおもためらう彼女。
「騙されたと思って食べてみろ。おいらたちのこと、知ってるんだろ? だったら、これが怪しげなものじゃないってこと判るんじゃないのか?」
 楽俊のけがれのない黒い瞳が、彼女を見つめる。
 彼女は薄い笑みを浮かべて、小さく頷いた。
「そうだね。そうだった」
 彼女は道端に腰を下ろし、楽俊から受け取った包みをひらいた。
 ネズミの小さな手が握ったとは思えないほど、それは大きかった。
「もしかして、これってひとの姿になって握った?」
 両手に抱えるほどの握り飯を指差し、彼女は訊いた。
 照れくさそうにしながらも、楽俊は頷いた。
「あっちのほうが、握りやすいんだ」
「でも、これあたしが食べちゃったら、楽俊のぶんがなくなっちゃうんじゃないの?」
「大丈夫。この先の街で、陽子にこっそりごちそうになったんだ。だから、実はそれ、残りもんだったりするんだ」
「陽子と? あ、呼び捨てにしちゃってもいいのかな」
「いいんじゃないのか。おいらのことは、いきなり呼び捨てだっただろ?」
「そうだね」
 国王と友達だけある。同じ位置で物事を考えている。そんな楽俊が、羨ましくも思えた。
「じゃあ、いただきます」
 彼女は大きな口をあけて、ぱっくりと握り飯にかぶりついた。
 冷んやりとしたごはん。
 適度にある塩味。
 混ぜられている具は、菜物を漬けたものだ。
「美味しい……」
 楽俊が言うように、全身に満ちていくような美味しさだった。
 握り飯の美味しさが、彼女の気持ちも潤してゆく。
 お腹が空いているとは感じなかったが、ひと口食べてゆくごと、もっともっとと身体が要求してくる。
 食べながら、楽俊はこちらでの生活、陽子のことなどを話してくれた。
 握り飯の大きさを見たときはムリと正直思ったが、結局彼女はぺろりと握り飯をたいらげてしまった。
「おまえ、意外に大食漢なんだな」
「美味しかったからだよ」
「言ったろ? 大学の連中にも、好評だったりするんだ」
「すごいね」
 楽俊は、頬をぷっくりさせて笑顔になった。
 彼女も微笑みを見せたが、ふと視線をさまよわせると、おもむろに立ち上がった。
「どうしたんだ?」
「おにぎり、ありがとう。出口を知ってるひとを、探さなくちゃ。夜になったら、やっぱり物騒だし。その前になんとかしないと」
 楽俊が言うには、ここは慶らしい。
「そうだな。路銀とか、持ってるのか?」
「ううん」
 楽俊も立ち上がり、ぽんぽんとおしりをはたいた。
「陽子のところに行ってみるか?」
「え?」
「陽子がいるところは王宮だ。おいらなんかよりもずっとずっといろんなことを知ってるひとがいる。そのうちの誰かなら、時空迷子ってのの出口を知ってるかもしれない」
「……いいの? 迷惑じゃない?」
「迷惑なもんか。時空迷子ってのは、実はとんでもなく大事かもしれねえだろ? 国の王に知らせるべきだと思うよ」
 それはきっと、楽俊の優しさなのだろう。
「ありがとう」
「礼には及ばないさ。ところで、たまには乗れるか?」
「え?」
 ひく、と、彼女の頬がひくついた。
 じっとお座りして待つ騎獣をちらりと見やる。
 たま、とはかわいい名前だが、見た目は虎だ。
「乗ったこと、ないよ。あたし、馬にも乗ったことないもん」
「そうか……。でも、たまに乗らなきゃ王宮にはいけないんだぞ」
「うん……」
「こう見えてもおとなしいんだ。怖くはない」
「 ――― ん」
 判ったと、彼女は頷いて見せた。
 意を決して、彼女はたまに近付く。
 こちらに顔を向けたたまは、よくよく見ると非常に愛嬌があってかわいらしい。
「よろしくね、たま」
 たまが、にっこり微笑んでくれた気がした。
 野を渡る風が吹いてきた。
 空の向こうに暗い雲があるから、雨が近いのかもしれない。
 楽俊がそう思って彼女に目を戻したとき。
 ――― そこにはたまが所在なげに待っているだけだった。
「あれ?」
 ――― 消えた……?
 きょろきょろと辺りを見まわしても、ひと影はない。
 道をそれてどこかにいるのかとも思ったが、やはりどこにもいない。
 声をあげて呼んでみても、どこからも返事はなかった。
「おいら……。夢でも見てたのか?」
 そう思って、荷物の中の握り飯を確かめてみる。
 それは確かに誰かによって食べられていた。
 ―― 時空を、迷子になったようで。
 彼女の声が脳裏をかすめる。
 ぴくぴくと、楽俊の尻尾が上下する。
 さきほど楽俊たちを通り過ぎた風の行き先を見つめる。
「あの風が、出口、だったのか?」
 たまも楽俊の見つめる方向に顔を向ける。
「……たま。あいつ、ちゃんと戻れたのかな」
 たまは尻尾をひらひらとさせるばかり。
「疲れたって言ってたけど、大丈夫でいるのかな」
 たまはぐるると喉を鳴らした。
 そんなたまの背を、楽俊は撫ぜた。
「一応、陽子に報告だけはしておいたほうがいいよな」
 荷物を背負い、楽俊はたまの背に乗った。
 もう一度やってきた風に乗るように、たまは楽俊を乗せ、天へと飛翔していった。
 
 
 

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高萩ともか・作