雁の大学に学ぶ鼠がいる。南の巧国から海を渡ってきた鼠だ。
ただの鼠ではない。半獣半人…名を楽俊という。
「よう!楽俊、見てたぜ」
ほたほた歩く鼠に追いつき、鳴賢は彼の肩をたたく。
いや、子どもの背丈ほどしかない楽俊であるから、たたくと言うよりは手を置く感じだ。
何をだ、という顔を上げる楽俊に「また抱きつかれてただろ」と鳴賢は返す。
「人気者だねぇ」
楽俊は苦笑した。
ネズミだからな、と楽俊は言う。一人前の男じゃないんだ。
実際、雁の大学には女子学生も多くいるが、彼女たちに楽俊の人気は高い。
獣形で歩き回る楽俊の姿は目立つし、その入学時の成績と相まって人の噂になる事も多い。
そのせいか…楽俊も知らない人物からいきなり、その毛皮を触らせてくれと頼まれる事もしばしばであった。
「愛玩動物じゃねぇんだけどなぁ」
楽俊がぽつりと呟く。
今度は鳴賢が苦笑した。
しおしおと垂れる長い髭が愛らしい。触りたがる女子どもの気持ちが、分からなくもなかった。
そんなに嫌なら普段から人形でいろよという友人に、どうしても嫌って訳じゃない、と楽俊は答える。
「人の姿でいる方が、気疲れするんだよ。何かおいらがおいらでないような…分かるか?」
「分からん!」
苦笑しながら鳴賢は断じる。
「人形であっても、お前だろうが」
「そうなんだけどなぁ」
ぱたぱたと落ち着かなげに尻尾を振る。
結局は慣れてないだけだんだろうなぁ…と独りごちる。
もしも、自分が鼠の半獣でなかったら。
楽俊もそう考えた事はある。
牛や馬だったらどうだろう?力も強いから、きっと母を手伝って田畑を耕せたはずだ。
(まぁ…ウチに土地はないけどなぁ)
虎とか熊とかはどうだろう?強そうだなぁ。
妖魔が来ても怯えなくてもいいかもしれない。
(でもおいら、闘うとか殺すとか…苦手だしなぁ)
もしも自分が半獣でなく、普通の人間だったら。
…きっと今でも、自分は巧にいたろう。
半獣だからと人に蔑まれる事もなく、普通に上庠に通えただろう。
ひょっとしたら少学にも行けたかもしれない。
(まぁウチは貧乏だから、学費が払えたか分かんねぇけどな)
母と一緒に人の田圃を手伝う事は出来ただろうし、どこかに職を得ることも出来ただろう。
でも…。
可能性をあげることは出来ても、そうやってすごしている自分を楽俊は想像する事が出来なかった。
(それに…きっと陽子とも会えなかったろうなぁ)
ケモノではなく人の姿をした自分だったら、きっとあの時の陽子は信用してくれなかったに違いない。
虎でも熊でも、牛でも馬でもないただの鼠だったから、陽子も多少は警戒心を解いてくれたのだ。
それを思うと楽俊は、天の巡り合わせというものに畏れを感じる。
半獣として生まれた事を良かったとは言えない。
でも、ただ人として生まれたかったとも思わなくなった。
(…ネズミくらいで丁度良かったのかもな)
そよそよと髭をそよがせて、楽俊は思う。
人は自分以外の何者にもなれない。
人には人の、半獣には半獣の、ネズミにはネズミなりの生き方があって、感情があるのだ。
それを否定したところで、他者になれる訳でもない。
(結局、自分でやってくしかねぇって事なんだよなあ)
いつの間にか、鳴賢はずっと先を歩いている。
おーい、と声をかけて楽俊は小走りに追いかける。
ネズミの身体での歩みは遅い。
おちおち考え事もできねぇや、と苦笑まじりに思った。
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