明日は、雛祭りだ。
ふらりと入ったコンビニで、雛菓子が売っていた。
(……。まぁ、礼も兼ねて、な)
昨日の誕生日に香穂子から思いもかけないプレゼントをもらったばかりだったから、金澤は気軽な気持ちで棚から小さなピンクの雛菓子を取り上げ、レジに持っていったのだった。
―――が、深く考えずに買ったはいいものの、
(いつ渡せばいいんだ?)
普段通り3/3に学院に出勤したはいいが、肝心の香穂子に手渡す機会がない。
教師というのは、厄介な立場だ。
生徒ならばそれこそ火原のように「かなや〜ん! これ美味しいよー!」となんの気兼ねもなく教師のもとを訪ねられるが、逆の立場となると「おーい、日野〜」とわざわざ教室に行って菓子を渡すことは無理である。コンクールやらで適当な理由をつけて彼女を呼びだす頻度が高かったからこそ、生徒や他の教師たちからの視線がちょっと痛い日々でもあった。
(困ったな)
こういうときに限って、香穂子とすれ違うこともない。放課後になっても、彼女がふらりとやって来る気配はなかった。
こんなことなら、学院に持ってこなければよかった。
かばんの中に入れたままの雛菓子にはなんの罪もないが、少し恨めしくなってきた。
そうして、辺りは薄暮に包まれる時間となってしまった。
さすがにもう、今日は香穂子と会うことはないだろう。
(酒のつまみにでもするか)
三十路の独身男がひとり、ピンクの雛菓子の袋を開けて酒をちびりちびりするさまは、我ながら情けなくもあるが、
(雛あられって結構美味いからな)
酒と一緒につまむには意外に合ってたりするのだ。捨てるなんてもったいない。猫たちにあげるのも、なんだか負けたみたいで癪だった。
学院からの帰宅の足が重い。ふと夜空を見上げて溜息が落ちてしまった。
学生って、いいなぁ、恵まれてて。
自分の気持ちにまっすぐになれない16の年の差が、正直呪わしかった。
結局。
次の日の早朝、金澤はまわりに誰もいないのを確認して、こっそり2年2組の教室に入った。目当ての机がどこにあるかなんて、目を閉じていても判る。
教室も廊下も、学院自体がまだ朝の静けさの中にあった。
それでも金澤は、誰にも見つからないよう、そしてさりげなさを装いながら、香穂子の机の中にそれを押し込んだ。
任務遂行にいったん胸はほっとするが、無事教室から出て準備室に戻るまでは安心できない。金澤はいそいそと教室を出、なんでもないことのように廊下を準備室へと向かった。
「―――ん?」
登校して香穂子は、机の中になにかが入っていることに気付いた。
軽くて手のひらサイズの小さなものが、無骨な紙袋に入っている。怪しみながら袋の口を開けた香穂子は、「あッ」と、思わず声を出してしまった。
「どうしたの?」
たまたま横を通ったクラスメートが気にして声をかけてくれる。
「あ、ううん。なんでもないの、ごめんね」
わたわたと手を振って誤魔化す香穂子。
中にあったのは、かわいいピンクの袋に入った雛菓子。
誰からの贈りものか、すぐに判った。
メッセージカードもなにもないけれど、香穂子には判る。
(先生ったら……)
使いまわしっぽい紙袋に、『雛あられ』という選択。包装している袋自体はピンク色でかわいらしいものの、中身は文字通りあられである。
香穂子と同年代の人間が選択するものではない。
香穂子は、笑みをかみ殺すのに必死だった。
1日遅れの雛菓子のプレゼント。
昨日はなかなか会う機会が持てなかったから、きっと本人はやきもきしていたのかもしれない。それを思うと、おかしくてたまらなかった。
おかしいと同時、嬉しくて、切なくて、幸せだった。
先生は、あたしのことを特別だと思ってくれている。
1日遅れのプレゼントが、それを教えてくれていた。
1日遅れだから、それが痛いほどに伝わってきた。
あと少しで2年生が終わる。あと1年経てば、『生徒』じゃなくなる。
待っているから。
香穂子には、そのメッセージにも思えたのだった。
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