今日も気持ちよく空は晴れ渡っている。
ぽつりぽつりと雲は浮かんでいるが、日差しを遮って陰らすほどでもない。
あかねはいつものごとく、怨霊退治に京の町を歩いていた。
一緒にいるのは頼久と天真。
今回は無事怨霊も封印でき、誰も怪我を負うこともなかった。
スムーズに封印ができた帰りは、気分もうきうきして晴れやかだ。
藤姫への報告も、こういうときは気軽にしやすい。
天真とお喋りしながら土御門の邸に近付いたとき、前を歩く頼久の髪がふわりと風に吹かれた。
軽く乱れた髪を、手ぐしでざっと直す。
あかねは引かれたように、頼久に目を奪われた。
「あかね」
無防備なあかねの表情に、天真の声はきつくなる。
その声に、頼久が反応した。
「どうした、天真」
振り返った頼久に、あかねが慌てて両手を振る。
「ううん、何でもないの。天真くんの独り言だったみたい」
「? 何言ってんだ、あかね」
きょとんとしたのは、天真のほうである。
だがあかねは、気にしないでと頼久に前を向かせようとする。
天真が何かを言ったのは聞き間違いではないはずだが、あかねが何でもないと言えば、頼久はどうにもできない。
不承不承といった感で、頼久は前を向いて再び歩き出した。
「おい、どいういうことだよ、いまのは」
小声で天真が訊く。
「あたしね、さっき思い出したのよ、頼久さんのことで」
「あいつの何を?」
小声ながらも不快感を隠さない天真。
顔をしかめる地の青龍に、あかねは囁く。
「うん。髪の毛」
「髪の毛?」
「疑問に思わない? 頼久さんって、いっつも前や横の髪をああいうふうに垂らしてるじゃない?」
「……。垂らしてるってか、たんに不器用なだけだろ? ざっくりとこう髪を束ねただけなんじゃねえの?」
天真は長い髪を頭の後ろで結ぶ仕草をする。
確かに、無頓着に髪を束ねれば余る髪も出てくるだろうが、頼久のようにはならないはず。
「あたしは、そうは思わないんだ」
あれは、意図的に残している。
適当に束ねたのなら、髪の根元から結び目への流れがくしゃくしゃになってもいいのに、丁寧に櫛を当てたように綺麗なものになっているのだ。
あかねの目には、確信めいたものまである。
「じゃあ、何なんだよ」
「もしかして頼久さん。……。……」
「何だよ。もったいぶらずにさっさと言えよ」
あかねは口を開こうとして、こくりとつばを飲みこむ。
声を出す代わりに、両手の指で自分の額にMの字を書く。
正確には、髪の生え際に。
「……」
何も言わず、頼久を見る天真。
あかねに返ってきたその眼差しに、いたずらな光が浮かんだ。
にやりと、口元に笑みが広がる。
「て、天真くん……?」
天真はあかねを置いて、数歩先を行く頼久のもとへと駆け寄った。
(えええ〜!?)
「なあ、頼久」
と、そこまでは天真の声もあかねには聞こえた。だが、その先が聞き取れない。
(ちょっと、て、天真くん〜!?)
聞き取れないが、成り行きが怖くて耳をそばだてるのも恐ろしい。
ただ、天真と頼久の仕草だけがふたりの言葉を物語っている。
頼久の髪を指差す天真。それに対し、何かを言う頼久。軽く膝を落とし、天真は頼久の顔を下から覗き込む。言葉を交わすふたり。
と、頼久があかねを振り返った。
(きゃ〜!)
問いかけるようなその眼差しに、あかねはたじろいでしまう。
しかし頼久は何も言わず、再び天真と言葉を交わし始めた。
(ちょっと、天真くんったら、何話してるのよ〜!)
内心ヒヤヒヤのあかねである。
どきどきしながらふたりの様子を見つめていると、天真が頼久の肩をぽんと叩き、あかねの元に戻ってきた。
「もう、天真くん、何話してたのよー!」
恥ずかしくて小声で天真を責める。
天真はおかしげに顔を歪ませていた。
「怒んなって。ちゃんとお前の疑問、解決してきてやったんだからよ」
「だって、でも、見てよホラ、頼久さんの肩、がっくり落ちちゃってるじゃない。歩き方だって挙動不審な感じだし。もう、どういう訊きかたしたのよ」
気のせいではなく、頼久の肩は力ない。
「大丈夫だって。あかねが気にすることじゃねえよ」
「だけど」
「あいつはオトナだぜ? いいんだって」
そう天真は軽く言うが、気にならないわけがない。
「……」
「で。聞きたくないのか? お前の疑問に対する答えをさ」
「そりゃあ、……聞きたい」
「そうでなくちゃな」
待ってましたと天真。
怖いような怖くないような。あかねは覚悟を決める。
「安心しろよ。あいつの生え際はちゃんと普通の場所にあったよ。M字でもない」
本当?
あかねは眼差しで確認する。
「ああ。ちょっとつまんねーけどな」
「そんなことないよ。はぁ〜、よかった」
胸に手をやり、息をつくあかね。
「でも、じゃあ何でああいうふうに髪を垂らしてるの? 天真くんの予想通りに、不器用さんだったの?」
「それがそうでもないんだな」
「え?」
怪訝な顔のあかねに、天真はにんまりする。
「やっぱりあいつ、生え際のこと気にしてるみたいだぜ」
そう言って、天真は先程のやりとりを教えてくれた。
『なあ頼久。お前いつもそんな髪してんのか』
『そんな髪?』
『夏でもそんなウットウシイ髪型なのか? 汗かいたりしたときとか、ウザクねえ?』
言って、天真は腰をかがめて頼久の髪を下から眺めまわす。
『ホラ。やっぱりな』
『やはりとは?』
『あかねだって実は心配してるんだぜ。その垂れてる髪。視界の邪魔になるんじゃないのかって。ナンかあったとき、敵に死角を作っちまうんじゃねえの?』
『神子殿が?』
頼久は小さく驚いて、あかねを振り返った。
『それは、申し訳ないことをした。そんな意味はなかったというのに』
『へえ、じゃあ、他に意味があるんだ』
『いや、その』
『実はファッションだったとか』
『ふぁしょん?』
『あ〜、お洒落?』
天真がそう言い直すと、頼久は口を一瞬つぐんだ。
『そうだったのか? わざとやってんのか』
『それは……』
『それとも、不器用だから適当にガッツリ束ねてるだけ?』
ぎろりと睨まれる天真。
『じゃあ、何でなんだ? 別に生え際が後退してるわけでもないのに、髪を垂らす必要どこにもねーじゃんか』
『後退……、天真、お前』
『何だよ、そう言われても仕方ない髪形してんのは頼久のほうだぜ?』
平然と言い返す天真に、頼久も反論の言葉を失う。
『あ。もしかして頼久。お前、気にしてんのか? その生え際。そうだよな、お前もそれなりな年だもんな』
『天真』
『だからそうやって生え際守ってたのか……。そうか。そうだよな、龍神の神子がアレだもんな。お前も苦労多いよな』
『神子殿への侮辱は、お前とて許さんぞ』
『判った判った。で。やっぱりそうなのか?』
食い下がる天真に、頼久は睨みを利かせてはみるものの……結局は折れた。
『 ――― 勝手にしろ』
『そーかぁー』
明らかに勝ち誇った声音である。
『お前もタイヘンだな。頑張れよ。あかねには適当に言っておくからよ』
『いや。神子殿が不安がっておいでなら、わたしから直接説明したほうが』
『大丈夫だって。お前が必死になって説明なんかしたら、よけいあかね混乱すっから。おれからさらっと説明したほうがいいんだよ、こういうのは』
『……そうなのか?』
『それに、お前が生え際に悩んでるって正直に言ってみろ。あかねだって女の子だ。ショックを、ええと、落胆するに違いないって』
はっとする頼久。
『な。おれに任せとけって』
励ますように頼久の肩を叩くと、天真はあかねの元に戻っていった。
「……ってなわけだ」
「天真くん。それって、全部そのまんま喋っちゃってるんじゃないの?」
「そうとも言う。でも、ちゃんと疑問は解決したろ?」
「それは、……そうかもしれないけど」
でも、ある意味やはりショックだ。
まさかあの頼久が、生え際の後退を気にしてあの髪形をしていたなんて……。
これからは言動に気をつけよう。
そうあかねが決心したときだった。
ぷっと、天真の吹き出す声が聞こえたのだ。
「何よ」
「お前、やっぱ本気にしたんだ」
「え?」
「頼久の生え際」
天真は自分の額に、M字を描いて見せる。
「え、ち、違うの?」
あかねの顔に、希望の色が浮かぶ。
「さーねー。どうだったかなあ?」
「天真くんったら!」
「……神子殿?」
あかねのあげてしまった声に、頼久が振り返る。
目の合った眼差しが、思わず生え際に移った。
瞬間、狼狽の表情を見せた頼久。
「わっ、あ、あのっ!」
天真に助けを求めても、彼はそ知らぬ顔をして空を見上げていたりする。
「あの、頼久さん、今日も無事怨霊を封印できて、よかったですよねッ!」
「…………」
「天気もいいし、こういう日は、気持ちが清々しいですねッ!」
「…………」
取り返しのつかない沈黙があった。
「神子殿」
おもむろに頼久が口を開いたときだった。
「ホラ、何やってンだよ。早く藤姫に報告して、何か食おうぜ。もう腹へってたまんねーよ」
そう言って、天真はあかねの手を取って、すぐそこの土御門の邸へと引っ張っていった。
「え、あの、天真くん!?」
「藤姫だっておれたちの無事を待ってんだ。ちんたらしてないで、行くぞ、ほら」
天真はぐいぐいと半ば強引にあかねの腕を引っ張る。
あかねの隙をついて、その場に立ちすくむ頼久にウィンクを放った。
曰く、
こういうことは、曖昧にぼやかしときゃいいんだよ。
と。
複雑な表情を顔に浮かべながらも、頼久はほっと首肯した。
貸しだからな。
声に出さず天真は唇でそう言い残し、あかねをほとんど無理やり土御門の門へ押し込んだ。
後に残された頼久の繊細な心は、ちょっとだけ傷付いた。
再び吹いてきた風に頭に手をやったまま、しばらくその場から動けなかった。
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