唐突に、あかねは思い出した。
一昨日は10/9。頼久の誕生日だった。
(うそ、やだ……!)
眠りに着く直前、最大重要事項を思い出したあかねは思わず身を起こし、そのまま固まってしまった。
(なんで? うそ、なんで忘れちゃったのよー !!)
カレンダーなどで日付を簡単に確認できる現代日本とは違うから、10/9を忘れないようにとずっと気に留めていたのに。
(ああああバカ!)
せめてせめて思い出すのが次の日だったら。
どうしてこんな、2日も過ぎたしかも夜中に思い出してしまったのだろう。
プレゼントを用意していた。不器用なりにそれでも懸命にお守り袋に刺繍を刺したのだ。
夏の終わりから時間と気持ちをこめて用意をしたというのに。
それなのに ――― 。
情けなさに、脱力してしまう。
頼久の誕生日を忘れてしまう日が来るなど、思いもしなかった。
「 ――― 神子殿?」
妻戸の向こう、庭からかかる声があった。
ひとびとが眠りに就こうとする時間、庭におりそこから声をかける者など限られている。
どくんと、あかねの心臓が鳴る。
「どこか具合でも?」
「え? ううん。大丈夫、です」
脱力に引きずられ、盛大な溜息でもしてしまったのだろう。耳聡い頼久は、それを聞き逃さなかったらしい。
「 ――― もしや、起こしてしまいましたか?」
「いいえ、そんなこと、ないです。……あの!」
「はい?」
「ちょ、ちょっと待っててもらえますか? 待っててくださいね!」
頼久の返事を待たず、あかねは掛けてあった袿を羽織って妻戸に向かう。
そっと戸を押し開けると、冷たい空気が室内に忍び込んできた。思わず身震いをしながら簀子縁に出るのと、月明かりの下、頼久がこちらを振り返るのが同時だった。
満月ではないものの、夜闇の中にいた目には、それなりに明るく視界を照らしてくれている。
気遣わしげな眼差しが、こちらを向いていた。
「お風邪を召されているのを、隠しているわけではありませんよね?」
心底心配しているその物言いに、あかねの頬に笑みが浮かぶ。
頼久は、本当にあかねのことを第一に考えてくれる。
懐のお守り袋に袿ごしにそっと手を添え、あかねは簀子縁の端に膝をついた。
「そんなんじゃありませんよ。頼久さんったら、ほんと過保護なんだから」
「神子殿に何かあってはいけませんから」
「……大丈夫です」
恥ずかしげもなくまっすぐそう言う頼久に、あかねは面映ゆくなる。
どちらともなく、深まる秋の月を見遣りながら、過ぎてゆく時間をそのまま静かに過ごした。
「 ――― どうかなさいましたか?」
あかねの身体が冷えるのを心配したのか、頼久はややあってそっと訊いてきた。
「あ……。うん。その……、嗤わないで欲しいんだけど」
「わたしが神子殿を嗤うなど!」
「ああ、うん、言われてみればそうなんですけど」
心外だと噛みつかんばかりの眼差しが返ってきて、あかねは改めて頼久のまっすぐすぎる想いを思い知る。
頼久は、あかねのすべてをまるごと受け入れ、求めてくれているのだ。
「いまさら、なんですけど。あの、でも、ほんと莫迦みたいですよね、いまさらこんな。……でも」
「?」
「 ――― これ」
あかねは、懐から取り出したお守り袋を、頼久の顔の前に差し出した。
虚を突かれたような顔で、頼久は、それをじっと見つめている。
「その、一昨日になっちゃって、もういまさらになっちゃうんですけど」
「……」
「お誕生日だったでしょ? 頼久さんの。一昨日は」
「 ――― え」
喉の奥に、何かが詰まるような声だった。
「誕生日……。それで、これは?」
「誕生日プレゼント……、ええと、誕生日の贈り物です」
「贈り物? 何故?」
「へ?」
プレゼントを渡して、「何故」と聞かれるとは思ってもみなかった。
こちらの世界では、誕生日にプレゼントを贈るという習慣がないのかもしれない。
(もったいない、そんなの。だって)
好きなひとの誕生日プレゼントを考えるのは、それだけで幸福で充足感に満たされるというのに。
「誕生日って、頼久さんがこの世に生まれて来たその日じゃないですか。頼久さんがこの日に生まれてくれなかったら、あたしは頼久さんと出逢えなかったし、こうしてここに残ることもなかった。だから、生まれてきてくれて、ここにいてくれてありがとう、っていう、贈り物なんです」
頼久が小さく息を呑んだ音が聞こえた。あかねは、勇気を出して続けた。
それは、どんな立派な言い訳にも負けない、本当の気持ちだ。
「好きなひとが、生まれた日なんだもの。ただ、お祝いしたいんです」
「神子殿……」
「迷惑かな、とも思ったんですけど、お守り袋に、あたしの髪を少し、入れておきました」
「神子殿の御髪が?」
やや神妙な顔になって、あかねは頷く。
「頼久さん、あたしのこと守ろうとして、ちょっと突っ走っちゃうところがあるから。お守り袋にあたしの髪が入ってたら、少しはセーブしてくれるかな、って」
「?」
「えっと。いつもあたしを守ってくれてすごく感謝してるの。でも、もっと自分も大切にして下さいっていうか。頼久さんに何かあったら、あたし、……そんなこと考えたくもないんですから」
頼久は、そっとお守り袋に手を伸ばした。
そうしてそのまま、大きな手のひらであかねの手を包み込む。
「ありがとうございます。わたしのことを、案じてくださるなど」
ずっと外にいたというのに、頼久の手は、意外にも温かだった。
「あ、当たり前じゃないですか……」
あかねが、最後まで言葉を紡ぐことはなかった。
頼久の手にぐいと引かれ、高欄から身を乗り出す形になる。その頭を頼久は抱えるようにして、唇を合わせてきたのだ。
「 ――― 大切にします」
ややして唇が離れ、あかねの耳に、抑えきれない情熱の吐息が囁きこまれる。
何を、とは明言されなかった。
けれど、訊くまでもない。
「こんなにも遅くなっちゃって、……ごめんね?」
「何をおっしゃいます。日にちや時間ではありません。神子殿のお気持ちが、ここにこうしてあるのです」
「ありがとう」
「礼を言うのは、わたしのほうです」
言って、頼久は再びあかねに唇を寄せたのだった。
満月まであと数日を待つ月明かりに照らされ、ふたりは静かに夜を過ごしたのだった。
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