町の活気が、晴れ渡った空に抜けてゆく。
今日は市が立つ日。普段は冬の風が吹きぬける閑散とした通りにも、賑わいが響いている。
その中を歩くひと組の男女。
天をつくほど背の高い男と、華やいだ顔の若い娘。
頼久とあかねである。
あかねはいろんな店を覗きながら、商品を物色していた。その背中を護るようについている頼久。
主人を守護する武士。ただそれだけにも見えるし、それ以上にも、見えなくもない。
あかねがそのことを知ったのは、冬の寒い日のことだった。
「頼久さんの誕生日、1ヵ月以上も前だったんですか!?」
アクラムとの戦いも終え、ひとり京に残ったあかね。
その理由を判っているはずの頼久は、相も変わらずあかねに対して主従の態度を貫いており、『想いを交わしあった恋人同士』というには程遠いふたりであった。
頼久が左大臣の警護で邸を離れていたこの日、あかねは武士団の古株と言葉を交わす機会があった。
そこで知った頼久の事実。
彼が生まれたのは秋の終わり、暦の上では1ヵ月以上も前の日付だったのだ。
(そんな……誕生日プレゼントとか用意したかったのに……)
1ヵ月以上も前になってしまうと、渡そうにも渡しづらい。
(どうしよう。でも、……渡したいな)
好きなひとの生まれた日。
それは何よりも大切で重要な日だ。
知らなかったとはいえ、そのままにしてしまうにはたった1ヵ月という誤差に後ろ髪を引かれる。
まだ ――― 間に合う。
(でも……)
プレゼントをあげようにも、こちらの世界の男性がどんなものを必要としているのかまったく判らない。
元いた世界だったら、それこそ腕時計だのネクタイだの選択肢はいろいろあるのだが、相手はこちらの世界の武士。
武士溜が屋敷内にあるため頼久以外の武士にも接する機会はあるのだが、彼らの深層心理が判るほど親しくはないし、ましてや頼久の欲しがるものを訊くなんて、恥ずかしすぎてできようもない。
頼久が欲しがるもの……。
怪我が多いだろうから絆創膏とか包帯とか。 ――― 医療品の支給みたいで色気も何にもない。却下。
(色気かぁ……。キスとか……)
あかねははっとし、ばたばたと手を振って自分の妄想をかき消した。
(なんてこと考えるのよ、あたしってば!!)
ひとり房で真っ赤になるあかね。
疲れやすいだろうから、栄養ドリンク ――― なんてものもないし、あっても頭の中を誤解されそうだ。肩揉みとか、ましてやマッサージも気恥ずかしいし。
(あーん、どうしてこう、ヘンな想像ばっかしちゃうんだろう……)
息をひとつ吐き出し、あかねは気を取り直して考える。
――― 手料理は?
バースデーケーキならぬ、何かごちそうを手作りするというのは?
(でも、あっちの世界でさえ料理は……うーん……)
その上、こちらでの調理はいろいろと文化的隔たりがあって障りがある。
ならば手料理は諦めるとして、一緒に食事をするとか。
いつも階の下ばかりに控えている頼久だが、こういうときくらいは、房に上がって来てくれるだろう。
(……かなあ?)
お役目熱心というよりも、こちらの世界の当然として身分をわきまえる頼久が、誕生日だからと簡単に房に来てくれるだろうか?
どう考えても、ありえない。
あかねが命じれば来てくれるだろうが、それは違う気もするし。
(やっぱり、プレゼントが無難かなあ。でもどんなのがいいんだろう)
「全然、判んない……」
ぐったりとあかねは考え果ててしまった。
そんなわけで、結局あかねは頼久と市に出て、誕生日プレゼントを選ぶことにしたのである。
小遣いで好きなものを買える立場ではないいま、藤姫から、片方を失くしてしまった貝合せの貝を貰い受けていた。市では、貨幣以外でも、物々交換で欲しい品物を得ることができるのだという。
頼久に贈り物をしたいからと言うあかねに、藤姫は喜んで片方だけの貝を差し出したのだった。藤姫の姉のような存在でもあるあかね。そして龍神の神子。左大臣家の財力にものを言わせれば、どんな贈り物でもできる。
けれどあかねは、自分自身でできる範囲の贈り物をしたかった。
藤姫はそれを理解し、微笑みながら敢えて高価になりすぎないものを選んでくれたのだ。
情景を内側に美しく描いてある貝。それを懐に入れ、あかねは背中の頼久を探る。
あかねが店を覗くと、警護のためかぴたりと背中に立つ頼久。あかねの目論見としては、頼久に店から気になるものを見つけてもらいたかったのだが、忠犬頼久は肝心な商品には目もくれない。
とうとうあかねはしびれを切らし、言ってしまう。
「ねえ頼久さん、欲しいものとかってないんですか?」
もうほとんどの店を見尽くしてしまったふたりである。
残るは立売くらいだが、期待できないのは明らかだ。
「?」
頼久はきょとんとする。
あかねが市を見たいと言ったから供としてついてきたのだが、こんな問いかけが自分に向けられるとは思いもしなかったのだ。
「何か、気になったことでも?」
逆に訊ねてきた頼久に、あかねは何でもないのと笑って誤魔化して見せるが、その顔もすぐに気まずそうになり、ちらりと再び視線が上がる。
「……特には、思い当たりませんが」
答えを欲しているのだろうと考えた頼久は、正直に返す。
「何にも? これがあるといいなあとか、必要だなあっていうものも?」
「……そうですね」
自分の胸の内を探っていたのか、やや考える様子を見せたものの、返ってきた答えは結局同じだった。
気落ちしてしまう自分を隠すことで精一杯のあかね。
頼久の誕生日にも気付かず、彼が欲しているものも判らないなんて、情けない。こんな恋人同士っているのだろうか。
頼久はそんなあかねの様子にすぐに気付き、道の端へと導く。
「どうかなさったんですか? 何か、気がかりなことでも……?」
頼久の声音が優しいからこそ、胸は脆く崩れていきそうだった。
じっと俯いて黙り込むことしかできない。
「神子殿?」
京に残って数ヵ月。いまだに頼久は、あかねを肩書きでしか呼んでくれない。
足元にぽっかりと大きな穴が口開いたような気がして、不安に落とされる。
(あたし、頼久さんのこと、何にも判ってない)
それなのに、きっと一方的に恋をしている。
頼久はあかねの気持ちを知っているのに、何もなかったかのように振舞っている。
今日も本当は、別の用事があったのかもしれない。
(でも、あたしが無理に市に誘っちゃったから)
自分の想いは、迷惑だったのかも。
そうまで思えてしまう。
本当は、頼久への想いに京に残ったことにも、困惑しているのかもしれない。
主筋に当たるから、あかねの想いを退けるわけにもいかない。だから ――― 。
「本当は」
乱れる感情を懸命に抑えているせいか、ぶっきらぼうな声になった。
「頼久さん、誕生日だったから、何かあげたくて」
「……誕生日?」
「1ヵ月以上も過ぎちゃったけど」
「 ――― ああ、そういえば秋の終わりに生まれたと聞いています」
他人事のようにさらりと頼久。
「ですが、どうしてわたしの生まれた日に何かを下さろうとなさるんです?」
「だって……大切な、大事ですごく、嬉しい日だから、お祝いをしたいんです」
カマトトぶっているのか本気なのか ―― 頼久の場合は後者だろうが ―― 怪訝な顔を返す頼久。
目の前の娘は、目をそらしながらも顔を真っ赤にさせて、唇を引き結んでいる。
頼久には、好きなひとの誕生日に贈り物をするという概念がなかった。
だからそれに一生懸命になること自体、思い至らない。
けれど、自分の生まれた日を大切で嬉しい日と言ってくれた神子が、たまらないほど健気で愛おしくなる。
頼久は、ようやく空気を読めた。
あかねと頼久の間は、違う時空で生きてきた年数ぶんだけの感覚の差異がある。
それはきっと、これから経ていくであろう年月でゆっくりと埋められていくのだろうが、今回のこともおそらくそのうちのひとつなのだろう。
時を過ごした時空は違っていても、ひとの気持ちの純粋さが変わるはずもない。
あかねの心遣いが嬉しくて、頼久の顔に笑みが浮かぶ。
「必要としているものが、ありました」
「もう、いいんです。無理して言わなくてもいいんです」
ふてくされているあかね。
気にせず、頼久は続けた。
「笑顔です」
あかねの表情が、瞬間無防備になる。
「あなたの笑顔です」
そう、あかねの耳元に唇を寄せて。
はっと顔を上げるあかねの目の前には、心がとろけそうなほどの甘やかな顔をした頼久がいた。
「わたしに必要なものは、『物』ではありません。ただ、あなたの笑顔があれば、それで充分なんです」
胸の底が、頼久の眼差しに、声に捕らえられる。
逃れられないほど、狂おしいほどの猛烈な強さで。
頼久は知っているのだろうか。
表情ひとつで、優しい声で、こんなにもあかねを惹きつけることを。
「その笑顔をわたしにだけ向けてくださるのならば、これ以上の幸せはありません」
締め付けられるように苦しかった胸の内が、熱い雫に満たされてゆく。
不安の深みにはまりそうだったあかねを、頼久はいとも簡単に救い上げてくれる。
何も言えない。
どんな言葉も見つからなかったけれど、溢れ出るように、笑顔が広がる。
あかねの笑顔に、頼久も花開くような笑みを浮かべた。
「もうひとまわり、市をまわってみましょうか」
頼久の手が、甘えるようにあかねの背中を促す。
「 ――― はい」
きっとそこには、2番目に欲しいものがあるかもしれないから。
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