雪が降っている。
エアコンもストーブもないこの時代、暖を取るのは火桶しかない。
寝殿造はあまりにも開放的すぎて、小袿を着こんでも寒さは身体の芯までしみてくる。
「寒ぅい」
縮こまってあかねは火桶の前で手をこすり合わせる。
京の寒さは半端じゃない。
鬼との戦いも終わり、左大臣家の養女に迎えられたあかねは、この冬の寒さにひたすら凍えていた。
室内にいてさえこんなにも寒いのに、外で控える頼久はどれほどのものだろう。
今日は特別な日だからそばにいて欲しいと言っておいたのに、任務だからと頼久はいつも通り警護にあたっている。
あかねが京に残ったことによって頼久の立場もそれなりに変わったのだが、あの堅物はまったくその態度を変えようとしない。
同じことは、実はあかねにも言えたのだが……。
しかしさすがにクリスマスイブのこの日。
頼久と1日を過ごせないことに、あかねはやきもきしてしまう。
せっかく赤と緑色を配したクリスマス色の小袿を着せてもらったというのに。
(つまんないなー)
藤姫のところに行こうかなとも思ったが、妙に大人びているからいらぬ気を遣わせてしまうし。
(サンタクロースって、この時代、いるのかな?)
降り続ける雪の気配を感じながら、あかねはぼんやりと思った。
サンタクロースは、確かキリスト教の聖人に由来している。
(京にいるあたしの願いも、聞いてくれるのかなぁ)
けれど、願いを聞いてもらいたいひとは、本当は違うのだけれど……。
もしかすると、このまま夜になっても頼久は邸の警護を続けるのだろうか。
(そりゃあ、それが頼久さんのお仕事なんだし。無理を言ってるのは、あたしのほうなんだし?)
頭では判っていても、やはり好きなひとと一緒に過ごしたい。
特に、クリスマスイブは。
どれほどこの日を待ちわびていただろう。
樅の木はないので、桜の枝をひとつもらって、そこに飾り付けをして手作りクリスマスツリー(の枝)を用意もした。
小袿はクリスマス色。部屋もそれにごく薄い灰色を加えた布などで飾り付けた。
この日のために、睡眠時間を削っていろいろと準備をしたのに。
それなのに、主役の頼久だけが来てくれない。
(友雅さんなんて律儀に『めりいくりすます』って文をくれたのに)
以前にあかねが話したクリスマスのことを、覚えてくれたのだ。
恋人同士には、クリスマスイブはとっても大切な日なのだということを、彼はちゃんと覚えていたのに。
(頼久さんのばかー)
相手がいるのに、たったひとりのクリスマスイブだなんて。
もしかすると、日を間違えているのでは? そう思えなくもない。
なんだか……ばかばかしくなってくる。
ひとりで勝手に盛り上がっても、きっと肝心の頼久はせっかくの日をすっぽかしてしまうのだ。
(もう……いやんなっちゃったよ……)
脇息にもたれ、ぐったりと疲労に襲われたあかねは、そのまま夢もない眠りの世界へとたゆたいだしていった ――― 。
ふと、肩に違和感を感じた。
違和感といっても、それは優しくて心地よい。
何気なく目を開けると、
「遅くなりまして、申し訳ございません」
済まなそうな顔の頼久が、そこにはいた。
肩にやられていた手に、あかねははっとする。
「あたし、寝ちゃってた……?」
脇息から起き上がり辺りを見まわすと、もう暗い。燈台には細い明かりが灯されている。
「いま、何時くらいなんですか?」
「酉の刻を、迎える頃でしょうか」
あかねは、頭に叩き込んであるこの時代の時間名を探す。
――― 夕方だ。
数時間しか経ってなかったとほっとする一方で、いま頃やってきた頼久に腹立たしさを覚えた。
「もっと早く、来て欲しかったのに」
「申し訳ありません。今日の夜がとても大切と聞いて、急遽他の者と交代していたのです」
「え?」
夜、を強調して頼久は恥ずかしくなったのか、少し俯いた。
「今日の今日まで、一番大切なのが夜だと知らなくて。天真に言われて、正直、焦りました」
天真も、京に残っている。
ここは自分の力を試すことができる。そう言って、彼は残ってくれたのだ。
「済みませんでした。神子殿のお気持ちを汲み取ることができず、夜間の警護を入れてしまったわたしが浅はかでした」
「……」
恋人たちのクリスマス事情は、あかねの世界のこと。頼久が詳しく知るはずがない。
それなのに、ひとりで拗ねていたなんて。
すれ違いそうだった成り行きを気に病む頼久が、かえって申し訳がなかった。
大の大人が、一介の女子高生のあかねに頭を下げる姿は、すごく切ない。
「頭を上げてください。こうして来てくれたんだもの。すごく、嬉しいです」
「神子殿……」
罪悪感から開放されたような、そんなほっとした眼差しを、頼久はした。
「お勤め、ご苦労さまです。外は、まだ雪、降ってるんですか?」
「ええ。やみそうにはないですね」
閉じられた半蔀を振り返った視線があかねへと戻る際、頼久は懐から小さな何かを取り出した。
「?」
「くりすますぷれぜんとです」
彼の手のひらには、茜色の飾りのついたかんざしがあった。
仰々しくない控え目なそのかんざしは、あかねのまだ短い髪にもよく似合いそうだ。
「これ……、もしかして頼久さんが、選んでくれたの……?」
「神子殿に、似合うかと思いまして」
頼久の頬が、ほんのり赤い。
あかねの胸が熱くなる。
嬉しくて手を伸ばしたその指先は、頼久の冷えきった手に驚き、思わずその手を握り締めてしまった。
一瞬、身を固くした頼久に、
「こんなにも冷たいじゃない。こんなにも……」
外の寒さに冷やされた彼のごつごつした大きな手が、とても愛おしかった。
この夜のために、雪の降る寒い今日も勤めを果たしてきたのだ。
「ありがとう。いつもいつも、ありがとう」
「着けて差し上げましょう ――― 失礼を」
恥ずかしさを誤魔化すためか、頼久はあかねの髪に手ずからかんざしを挿した。
冷えた指が素肌に触れないよう、頼久は注意をしている。
その心遣いが余計に嬉しかった。
「よかった。お似合いです」
「ほんと? うわあ、ほんとだ」
鏡を覗き込むと、大人びた印象になった自分がいた。
そうさせているのが頼久のくれたかんざしなのは、間違いなかった。
「あたしもあるんです。頼久さんにクリスマスプレゼントが」
頼久に向き直り、あかねは小袿のたもとに隠していた包みを取り出した。
思わぬところから出てきたプレゼントに、頼久は驚きを隠せない。
それは、あかねからプレゼントをもらえると思ってもなかったからもしれないが。
「本当は、手編みしたかったんだけど、毛糸がなかったから……。開けてみて」
手渡された包みを、言われるまま開ける頼久。
そこには、淡い橙色のただ長い布があった。見た目よりも軽く、その周囲はほつれないよう丁寧にかがってある。
「これは……?」
それが何なのか思いもつかない頼久は、あかねに尋ねる。
「マフラーです。首に巻いて、寒さを防ぐんです」
「首に巻いて……?」
やり方が判らないらしく、頼久は手に取ったまま困惑している。
「巻いてあげます」
あかねは頼久からマフラーもどきを受け取ると、あらわになっている首に優しく巻いていった。着物でもおかしくならないよう、気をつけて形を整える。
「こんな感じ。うん。よかった、似合ってる……と、思います。 ――― どう?」
頼久にも鏡を見てもらう。
「これは……」
息をこぼした頼久に、あかねは眼差しで問う。
頼久からは、言葉よりも先に笑顔が返ってきた。
「ありがとうございます。こんな暖かなものをいただけるなんて」
「重くはないですか? マフラーにしては、本当は少し、重たいんですけど」
「いいえそのようなことは」
心から嬉しそうに、頼久は頬を緩ませる。
「頼久さん、寒くてもいつも防寒らしい防寒してないから、気になってたんです」
「気を遣わせてしまっていたとは。それは、申し訳ありませんでした」
堅苦しい言葉ではあったが、その顔はとろけそうである。
「ですが、まふらあをいただいたので、大丈夫です。恐れ多くも神子殿にお守りいただいている。寒さなど、もう感じることもありますまい」
「だったら、よかった」
「もしや、神子殿が作られたのですか?」
「うん。だから……ちょっと縫い目が歪んでたりでこぼこな形だったりするんだけど。……ごめんね?」
「謝られるなど……!」
頼久はマフラーもどきに手をやりながら、首を振った。
「この頼久、本当に、果報者にございます!」
「果報者だなんて、そんな、大袈裟だよ」
心底感激している頼久に、あかねは照れくさいが嬉しさを抑えられない。
そんなあかねの頬に、頼久の手が伸びた。
触れそうになる直前、自分の手の冷たさを思い出したのか、はっとためらう。
その仕草に、あかねはどぎまぎして視線を泳がせる。
想いは通い合っているのに、どうしてだかおおっぴらに振舞えないふたりである。
けれど、今日はクリスマスイブだ。
恋人たちの日。
あかねは勇気を出し、頼久と目を合わせた。
「あたしね。もうひとつ、クリスマスプレゼントをもらったんですよ」
「え……?」
天真から、恋人はクリスマスにプレゼントを贈りあうのだと教えられていた頼久は、すっと真顔になった。
誰からだろう。
やはり男女の仲に長けた友雅からだろうか。同じ世界を知る天真なのか詩紋なのか。それともあかねと年の近い鷹通や永泉だろうか……。
考え込んでしまう頼久。
そんな頼久の手が、がばっとあかねに掴まれた。
あかねのぬくもりを、冷たい手はどんどん吸い取ってゆく。
「み、神子殿……!?」
まっすぐな眼差しのあかねに手を掴まれ、頼久は慌てた。
「神子殿の手が冷えて」
「頼久さん。あたしにプレゼントをくれたのは、サンタさんです」
「は?」
前にあかねが言っていた。さんたさん、さんたくろおすは、くりすますに子供たちへ贈り物をしてくれるとても徳の高い偉い人物なのだと。
八葉の誰かを探してしまった自分の小ささが、少し恥ずかしくなった。
そんな頼久の気持ちを知るはずもなく、あかねは嬉しそうに言葉を続けた。
「頼久さんに、逢えますようにって。お願いしてたんです」
「そう……だったんですか」
あからさまにほっとする頼久。
それに気付いたあかねは、いたずら心をちょっとだけ出した。
「ああそうだ。友雅さんからも、もらったんだった」
「え!?」
予想通り、思いきり驚く頼久。
「ふふ。メリークリスマスっていう文だけだけどね」
「そう、ですか……」
やはり友雅は油断ならない。
気をつけねばと、心に決めた頼久だった。
「でもやっぱり……、頼久さんが来てくれたことが、一番、嬉しい、の」
上目遣いで、頼久を見つめるあかね。
ふたりの手は、繋がったままだ。
頼久の手を掴んでいたあかねの手が、ぐいと引かれた。
ふいをつかれ、あかねは頼久の胸に倒れこむ形となった。
鼻腔に、頼久の香りが流れてきた。
背中にまわされる、頼久の腕。
「このときを、待ちわびていました」
頼久の腕と言葉に抱きしめられ、あかねの胸は震えた。
まだまだ夜はこれから。
今日は、クリスマスイブ。
恋人たちの夜が、始まる ――― 。
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