いつもの通り、今日も超過勤務だった。
夏とはいえ、既に日はすっかり落ちている。
トグサは我が家へと車を走らせていた。開けてある窓から、湿気を含んだぬるい風が車内に流れる。襟元にかかる髪が風に翻弄されていたが、気にもとめずそのままにさせていた。
信号で止まり何気なく横を見ると、いつの間にか高層マンションのテナント部分にコンビニができている。
(いつの間にできたんだろ)
毎回この道を通っているのに、気付かなかった。
深い意味もなく、トグサはコンビニへとハンドルを切った。
店内には、リズミカルな音楽が流れていた。
買うものがあって立ち寄ったわけではなかったので、トグサは手持ち無沙汰に店内を歩く。
その目が、――― 一点に集中する。
研ぎ澄まされた彼の眼差しの先には、アイスクリームコーナーの片隅、エンジ色をした小ぶりのカップが。
好きな銘柄のアイスだ。しかも、トグサがいまはまっているチョコレート味。最近、このチョコレート味となかなか巡り会えないでいる。
(まさかこんなところに……!)
手にとってみる。
ひんやりとした感触が気持ちいい。チョコ味はいつもないのよと困ったように言っていた妻の顔が浮かんだ。
(やっぱりこれだ、おまえ、こんなところにいやがったのか……!)
ケースにあるのは1個だけ。これは買ってくれと言っているようなもの。
(買わずに出れば、男が泣くぜ)
トグサはチョコアイスを手に、レジに向かった。
「―――あっ」
レジで、トグサは突然叫んだ。店員がびっくりして飛び上がる。それほどまでの大声だった。
「どうされました?」
(マジかよ、財布忘れた……)
ポケットに手を突っ込んだまま、トグサは動きを忘れる。
「お客さま?」
「あ? いや、その……財布、忘れたみたいで……」
「ああ……」
店員も気の毒そうな顔を返す。本人は気付いていなかったが、それほど悲壮な顔をトグサはしていた。
ごそごそポケットをあさったが、財布の代わりになるものも一切持っていなかった。
(車にも……、ああ、この前夜食の買出しで使ったんだ、バカだ〜、おれってなんてバカなんだ〜)
背中にひとが並ぶ気配があった。
アイスクリーム1個を前に、トグサは悩む。
小さなカップアイスと見つめあい、決断をしなければと激しく葛藤する。
「どうされます?」
店員が後ろの客たちを気にしながら訊ねてきた。
(くそぉおおおっ!!)
「やめときます。手間取らせて悪かったね」
トグサはそう言い、アイスをケースに返して車に戻るしかなかった。
車のドアを閉め、それでもどこかにアイスを買えるだけの小銭はないかと未練たらしく探してみる。
すると、グローブボックスの奥から小銭が出てきた。
「やった」
ぎりぎり買えるだけはある。
トグサの上げた―――輝く顔が引きつった。
コンビニのガラス越しに、いまのいまトグサが戻したチョコアイスを手にしてレジに向かう女性の姿が。
「マジかよ!」
小銭を握りしめるも、動けなかった。
女性はレジで会計を済ませ、店を出てきた。トグサのことなどもちろん知る由もなく、彼女はくしくも隣に停めてあった車に乗り込み、走り去っていった。
―――言葉も出ない。
胸の内で涙が流れた。悔やんでも悔やみきれないトグサ。
その日に限って、家でストロベリー味のアイスを食べなかったその理由を、彼の妻は知らない。
|
|