「何とかしてくれ!」
そう言ってトグサは9課に飛び込んできた。
「どうした、いきなり。あれ?」
「お前トグサか? 今日、非番だよな?」
サイトーとボーマが血相を変えるトグサにきょとんとする。
「あら。いつになく今日はお洒落じゃない?」
階下からの声に見下ろすと、すぐそこに興味深げな草薙の顔があった。
仕事場でのトグサは、いつもワンパターンな格好だったが、今日はどういうわけかめかしこんでいる。
細い縦縞のハイネックシャツに濃い灰色の上着。パンツは上着に合わせてコーディネートされている。洗いざらしとしか言いようがなかったぼさぼさの髪も、ジャックが隠れる程度に短く刈り込まれている。たぶん、つい先程切ってきたのだろう。
めかしこんでいるというほどのものでもないのだが、トグサにとってはかなりの大改造だ。使用前・使用後ほども印象が違う。
「嫁さんとデートか? や、いまさら、洒落っ気出しても遅いよな。ってことは、お前、不倫でもしてるのか?」
「莫迦野郎。それよりこれなんだ」
からかうバトーを莫迦野郎のひと言で片付け、トグサはいそいそとサイトーにポケットに入っていたものを見せた。
「指輪……。 ――― 結婚指輪か? もしかして」
「マジかよ、お前、結婚指輪持ってたのか!?」
バトーは懲りずに反応する。
「普段は任務に差し支えるから外してるんだよ」
「トグサ、お前、ナンか新鮮!」
むっとするトグサだったが、バトーの冷やかしよりもいまはこちらのほうが問題なのだった。
つまり、
「指に入らない」
「……外してたんなら、そういうこともあるだろうな」
サイトーは、そう返すしかない。
「直してくれ!」
「は?」
トグサは必死な顔で懇願してくる。
「いますぐ、指に入るよう直してくれ!」
「直すって、お前……」
サイトーは9課のみんなを見やる。もちろんトグサ以外の人間は、彼が何故ここに来たのかが理解できない。
「よく判らんが、指輪のサイズを変えたいのなら、ここじゃなくて買った店に行くべきなんじゃないのか?」
ボーマがしごく当たり前の発言をした。
そうだと頷くサイトーたち。
焦った顔を崩さないのは、トグサだけだった。
「さっき行ったら、しばらく休ませて頂きますって貼り紙があったんだ!」
「それってつまり、倒産したってこと?」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ! 隣の店に訊いたら、クリスマス前から休みだったって!」
ムキになって反論するトグサ。
「でも、世間じゃいまは正月だ。クリスマス中も営業してないってのは、倒産したって ―― いやいや、閉店したってことなんじゃねえのか?」
「やめてくれよ、旦那ァ」
「他の店はまわらなかったのか?」
「……他の店?」
サイトーの言葉に、トグサは目を瞬かせる。
「指輪のサイズ変更なら、違う店でも受け付けてくれるんじゃないのか?」
「そうね。事情も事情だし。たぶん、交換って形になるとは思うけど」
「そうなの、か……?」
まったく思いもよらなかったトグサである。
だが、もうそれは過去の選択でしかない。
トグサはサイトーの腕を掴んで、揺さぶった。
「でももう間に合わないんだ! 頼む! いますぐ指に入るよう直してくれ!」
「おれに言われても」
「いろいろ細かい道具を持ってるだろ? 手先も器用だし」
「細かい道具って、あれは銃の手入れ用だろ」
「でも、何をそんなに焦ってるんだ?」
ひとりばたばたするトグサに、ボーマは不思議がる。
「非番なんだから、いまからどこかの店に行けばいいだろう?」
「だよな」
頷く一同。
「これから同窓会なんだ、そんな時間ないよ」
「同窓会だァ?」
「だから今日を休みたいって申請があったのね」
「中学ンときので、成人式以来みんなとは会ってなくて……って、それどころじゃなくって!」
「はは〜ん」
バトーがにやけた。
「嫁さんから言われでもしたんだろ。保険かけとけって」
指輪を示すバトー。
久し振りに会う同級生たち。その中には未婚女性もいるだろう。独身と勘違いされて狙われたりしないよう、あらかじめ結婚指輪を嵌めておくのだ。
指輪をしていれば、狙われる可能性はゼロではないが、ほとんどなくなる。
バトーの指摘は、図星だったようだ。
「でも、入らないんだ。ここの、この節が邪魔をして、ほら、んんん、……やっぱり入らない……」
目の前で指輪を押し込んでみせるトグサ。
面白いように、左手薬指、第二関節が指輪の進入を阻んでいた。
「こいつは見事だな」
「諦めなさい。無理よ」
草薙のひと言は、ざっくりとトグサを両断する。
「他人事だと思って……」
劇甘愛妻家であるトグサの諦めきれない気持ちも判らないでもないが、このごつくなった指にこの指輪は、物理的に入るはずがない。
「右手にしてみたらどうだ?」
「右のほうが太いんだ」
「関節を削れば入るんじゃないの?」
「旦那……」
恐ろしいことを平然と言うバトー。
「小指に嵌めてみるとか」
「やってみたけど、逆に緩すぎて落ちちまう」
「贅沢な手だなあ、おい」
いちいち腹の立つことを言うバトーである。
トグサの焦りは募ってゆく。
もういいかげんここを出ないと、時間に間に合わなくなる。
――― 指輪、していって欲しい、な。
――― そんなのしなくても、大丈夫だって。
――― でも、気になるじゃない?
――― 心配性だなあ。
同窓会の知らせを受け取ったときに交わされた妻との会話が、トグサの胸によぎる。
意味はなくとも、指輪をしていくのは、妻に対する誠意の表れなのだ。
だから、嵌めずに行くのはどうしても抵抗があった。
どうしてもっと前に、指輪が嵌るかどうか確認しなかったのだろうと悔やまれる。
「これ使え」
思いつめるトグサの目の前に、大きな手が伸びた。
バトーのその手には、ドッグタグのついたネックレス。
「指輪を通して、首にかけてろ」
「え?」
「指が無理なら、首にかけるしかねえだろうが。結婚指輪をネックレスに通してるヤツは、意外と多いんだぜ」
「そうだな。無理に道具を使ってどうにかするよりも、よっぽど現実的だ」
サイトーも頷いている。
「ドッグタグなんてモン放ってるが、モノは使いようだ。こういうときにでも使ってやれ」
言いながら、バトーはトグサからむしりとった指輪を、ドッグタグに通してゆく。
9課全員には、その任務の性質上、ドッグタグが用意されている。
邪魔だからと、ほとんどが各自の机の引き出しにしまいこんではいたが。
「そうね。意外とその格好にドッグタグって似合うかも」
草薙の感想に、下心はなさそうだ。
バトーから無骨なネックレスを受け取って、つけてみるトグサ。
「ぱっと見、判んないよ」
「外に出すのよ。シャツの上に」
「外……」
「……まあ、似合ってはいるな」
ボーマの感想は、どこか頼りない。
「ドッグタグが眩しいな」
サイトーのドッグタグは、いつもつけているため傷だらけで輝きがない。
「結婚指輪も綺麗なものだから、いいんじゃないの?」
草薙はフォローする。
トグサはモニターに自分を映してみて確認する。
意外と、さまになっていた。
これなら、自然に既婚をアピールできる。
ほっと安堵の息が洩れる。
「助かったよ。これで安心して行ける。じゃあな」
爽やかに片手すら上げ、満面の笑顔でトグサは慌しく去っていった。
残されたみんなは、互いに目を見合わせた。
「安心して行けるって……」
「そう言うのは、早計すぎるわよねぇ」
不適な笑みの草薙。
「ひとりでのろけやがって」
「まったくだ」
彼らはトグサの消えた階上を見上げる。
「幸せなヤツには、何かプレゼントでもしなくちゃな」
「ああ」
「同感」
「明日が楽しみだわぁ」
舌なめずりをするような草薙の声は、聞く者によっては、まるで魔女の声に聞こえただろう。
だが残念ながら、この部屋にそう聞こえた者はひとりもいなかった ――― 。
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