このところ早い帰りが続いていたから、久々の徹夜は、かなり身体に応えた。
翌日が遅番で助かった。帰宅すると、既に妻が起きていた。
「お帰りなさい。お疲れさま」
「ただいま〜。もう朝ごはんか……」
「うん。どうする? 食べる?」
「あ〜……、どうしようかなぁ」
朝刊を持ったまま、間延びした返事を返す。ぼんやり迷っていると、ダイニングから美味しそうな香りが漂ってきた。
「……食べる」
「ん、判った」
香りに誘われるようにして、トグサはダイニングテーブルにつく。
今日の朝食は、トースト、スクランブルエッグ、ベーコンサラダ、に……ヨーグルト。
「を」
トグサの好きなラズベリーヨーグルトだ。クマの顔をしたガラスの器にスプーンも添えられて、食べてもらうのをいまかいまかと待っている。
「なあ。これ、食べていい?」
子供のために出されたのだろうが、まだ寝ているようだ。
妻はトグサの指差すヨーグルトを振り返ると、しょうがないなと半分呆れた顔で頷いてくれた。
ほとんど返事を待たずに、トグサはヨーグルトを味わう。口に含むと、ひんやりしたヨーグルトから、ラズベリーの爽やかな香りが鼻に抜けてゆく。歯で噛み潰す食感。弾ける果汁。
「ウマ〜、たまんね〜」
勤務明けの五臓六腑にしみ渡る美味しさだ。
ヨーグルトを平らげると、トグサは持ってきた朝刊を広げた。最初にざっと目を通した限りでは、取り立てて引っかかる記事はない。
テーブルの上の皿をちょっとどかし、1/4に畳んだ新聞のスペースを作る。
「もうすぐ子供たち起きてくるのよ」
「ん。まだ大丈夫」
政治面を読みながら、トグサは適当に答える。
道路交通法の改正に関わる問題、気象庁が導入した新観測法を巡る派閥の争い、ある建設会社の談合問題など……、9課に直接関わるような事件は起きていない。
ページの一番下には、男性週刊誌の見出し広告があった。
トグサの視線は、そちらに流れる。
(お〜、湯浅なつえちゃんがとうとう脱いだか〜。でも肝心なところは隠れてるんだろうなー。、楠瀬らみ、I カップ全開……? うをぉ、これは買わねば!)
トグサは記事よりも、週刊誌の見出しを読みだしてゆく。
すぐそばで、妻がトグサのぶんの朝食も用意してくれている。
食器が触れ合う、静かな音がする。
半分開かれた窓から、しっとりした風が、足元を吹き抜けていた―――。
「―――ほんとだ」
起こされたばかりの娘が、ダイニングテーブルでほおづえをつく父親をきょとんと眺める。
「ね。このままにしてあげようね」
「……うん」
テーブルに新聞を広げたまま、トグサは静かな寝息を立てていた。風に揺れる髪が頬にかかっていたが、気持ちよさそうに眠っている。
「おはようは?」
「ううん、いまは、そーっとしておいてあげようね」
声をひそめる母親に、寝ぼけ眼の息子がうんと頷く。母親を真似て、娘もひそひそ声で訊いた。
「なんのゆめ、みてるのかな」
「何の夢かな。みんなと一緒にごはんを食べてる夢見てるのかな」
「じゃあ、いただきます、だね」
父親を起こさないよう、みんな小声になる。
足をしのばせ、気をつけて椅子に腰掛ける。
子供たちは嬉しそうに、けれど口をつぐんで父親と一緒にテーブルについた。
「いただきます」
「いただきます」
唇だけを動かして、子供たちは手を合わせる。
思いがけない父親との朝食に、うきうきと笑顔が弾けていた。たとえ眠っていたとしても、こうして朝顔を合わせられることが嬉しくてならないのだ。
そばに子供たちがいると判るのだろうか、トグサは満足そうな顔をして、ゆうるりとまどろんでいた。
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