「あ〜のめ〜。す〜もーきよーの〜。とーろんへ〜なもちかんす〜」
雨上がりの道を歩くトグサの後ろで、タチコマがわけの判らない歌を歌っている。
頭上を仰げば、晴れ渡る空に一本の飛行機雲。今日も暑くなりそうだ。
トグサは、研修生という名目での潜入捜査に向かう途中だった。用心のために同行することとなったタチコマが、ひとり陽気に歌なぞ歌っている。
光学迷彩を強制解除させてやったら、アホ歌もやむだろうか。―――タチコマに羞恥心というものがあればの話だが。
そんなことを考えながら、トグサは次第にうるさくなるタチコマの歌に堪えていた。
「そっそーのめ〜。ちょももんぺー。りーろんらっぱーごーろろーんぬー」
「あのな、ご機嫌なところ申し訳ないんだけど」
眉間にしわを寄せ、トグサはとうとう我慢できなくなった。
「を? ナンです? トグサくん」
「そのアホ歌はやめてくれ」
「アホ歌ですと〜? まッ、なんて失礼なッ。こんなにも気持ちいい天気なのに歌も出てこないんですかァ、トグサくんはッ」
「出てくるのはおまえくらいだ」
「むきー! 歌も出てこないだなんて、トグサくんはおかしいです! 変です! ビョーキです!」
トグサは前を向いたまま、ぎろりとタチコマを睨む。
「仕事仕事仕事。家にも帰れず仕事漬けでおかしくもならあな。呑気に歌ってられるおまえが変なんだよ」
「んまッ」
相手が思考戦車ということも忘れているのか、トグサはそう言い捨てた。
「そんなこと言うと、トグサくんのことキライになっちゃうからねッ」
「どーぞ、ご自由に」
トグサはたいして気にもしない。
「イ―――ッ! だ!」
「はいはい」
「むき―――ッ」
「はいはい」
「ぷーんだ!」
「はいはい」
タチコマは、のれんに腕押しという言葉を思い出さざるをえなかった。
(それとも馬耳東風っていうのかな? トグサくんって馬面っぽいし。馬の耳に念仏? ヌカに釘? えーと、この状況で適切な表現はどれだったかなー……??)
「ところでタチコマ」
トグサは何事もなかったように話を切りだす。
「おまえ、前みたいによそ見してて迷子になったりするなよな。アホ歌歌って踊ってたら承知しないからな」
「迷子? おや〜? チョットよく判んないですねえ」
「おれはまだ義体化するつもりはないんだ。おまえがミスると、かみさんが悲しむ」
「イヤイヤ〜ん。アッタシーの前で〜奥さんの話ーしな〜い〜で〜」
タチコマは歌で返す。
「おまえバグってるぞ。いますぐ戻ってプログラムし直してもらうか、解体処分してもらえ」
「あぁ〜ん、トグサくんのいけずぅ。ちゃんと正常に動いてますよう」
「じゃあちゃんと任務につけ」
研修会場となるビルに近付くにつれ、トグサの声に鋭さが増す。
トグサが潜入するのは、義体化を考えている人間への、義体構造論という講座だった。義体化への偏見と不安を取り除くという意味合いも―――表向きはあるらしい。
そう。表向きは、あくまで平和的な義体啓蒙団体の主催する研修だ。
だがこの団体の実態は、完全義体狂戦士―― バーサーカー ――製造機関であるという。電脳はコントロールされ、自らの意思を排除された戦うだけのサイボーグ。それがこの団体を隠れ蓑に、水面下で製造されているという情報があった。
件の製造機関が、今回義体構造論研修という名のもとに、生身の人間を集めていたのだ。
下手をすれば、トグサも狂戦士にされてしまう。タチコマのように脳天気に歌など歌っていられる心情ではない。
タチコマではなく、ちゃんと9課のメンバーをつけてもらいたかったが、いかんせん、みなそれぞれに忙しかった。
タチコマも、トグサの厳しい声にさすがに歌えなくなる。
「トグサくん、トグサくん」
「なんだ」
「トグサくんなら、大丈夫だよ」
「……そりゃどうも」
タチコマの励ましなどあてにならないと、まともに聞かないトグサ。
「あのね、トグサくん。少佐が言ってたんだけどね、この任務、サイトーさんでもよかったのに、どーしてトグサくんなのかっていうとー、トグサくんには、家族がいるから、なんだって」
「家族がいるから?」
タチコマの言葉に胡乱な顔をするトグサ。もちろん、タチコマにその表情は判らない。
「うん。家族がいるから、やけっぱちにならずにちゃんと戻ってくるんだって。何かあっても、諦めることはないって。ぼくもそう思うよ」
トグサの足が、止まる。
最後のひとことはどうでもいいが、草薙がそう自分を評しているとは思わなかった。
(家族があるから……か)
確かに、そうかもしれなかった。
どんな危険な任務にあっても、家族のもとに帰るという信念があったからこそ、これまでなんとか生還できたのだ。
悪くいえばその執念を、草薙はちゃんと評価していたのだ。
水溜りに目を落とすと、こちらを見つめる男の顔。
(このおれを待ってくれてるひとが、いるんだもんな……)
それは強みだった。武器でもあった。タチコマが――草薙が言ったとおり、だからこそいままでやってこれた。
トグサは胸の奥から、力がわいてくるのを感じた。
「だったらやっぱり、よけいにおまえの協力が必要だ。頼りにしてるから、おちゃらけた歌を歌っておれを失望させないでくれ」
「もっ、もちろんでありますよー、トグサくん!!」
語尾にハートをまき散らせ、タチコマは再び歩き出したトグサの後ろを嬉々としてついていった。
そうしてトグサは、目的のビルに入って受付を済ませ、ひとり会場に向かっていった―――。
|
|