この日は12/24。
世間ではクリスマスだイブだと大騒ぎである。
いや、公安9課にもひとり、クリスマスで大騒ぎをしている男が、 ――― いた。
その名も、
「トグサ……」
である。
勤務を終えようとしているイシカワの前で、拝むように手を合わせて頭を下げてるのが、そのトグサである。
「おれは菩薩になったことはないと思ったんだけどな」
「いえいえ、そのイシカワ菩薩さまにお願いがあるんでございます」
「やめろって、気持ち悪い」
ふいとそっぽを向いたイシカワに、トグサはようやく手を下ろした。
「イシカワの旦那にどぉぉぉしても頼みたいことがあって」
「そう素直に言やあいいんだよ。 ――― で、何だ、その頼みってのは」
「急なんだけど、プライベート・サンタをお願いしたいんだ」
「…………は?」
予想もしなかった言葉に、イシカワは外れた声になる。
しかしトグサの顔は真剣そのもの。冗談を言っているようには見えない。
「頼む! この通り!」
「ちょっと待てって。どうしておれがプライベート・サンタにならなきゃならないんだ? それにサンタの格好は、おれよりも課長のほうが似合うだろ? ……って、そういや福岡に出張だったっけか」
「だから参ってるんだ。この時期業者に頼んでも、莫迦高い金額提示されるし、手頃なのは全部予定が入っててダメって言うし、もう困りきってンだよ」
プライベート・サンタとは、クリスマスイブの夜、子供たちの枕元にプレゼントを置くため、各家庭で雇われるサンタクロースである。
もちろん、本物のサンタクロースではない。
だが、サンタクロースに変装して個人の家庭に入るだけあり、その審査は厳しく、難関といわれるプライベート・サンタクロース派遣協会に登録された者のみにしか資格は交付されない。
表立った活動はクリスマス時期だけだが、子供たちに夢と希望を与えるこの資格は、年金額にも大きな影響を与えるため侮れないのである。
絶対数が少ないので、プライベート・サンタを雇うには前年から予約を入れなければならない。
だからほとんどの家庭では、父親や祖父などがこっそり眠る子供の枕元にプレゼントを置く。
たまたま気配に目を覚ました子供が、サンタではない身内の姿にショックを受けてしまうことがままあるのは、いつの時代も同じだろう。
プライベート・サンタが生まれたのは、そういった理由からでもあるのだが。
「お前がサンタの格好すればいいだろうが」
「それが、つい、サンタと友達なんだって話になって」
「ナンだそりゃ」
「だから頼む。子供たちの前で、サンタになってもらいたいんだ」
再び手を合わせるトグサ。
「おれじゃなくても」
「だって旦那、今夜は非番だろ?」
「そーだけど」
「頼む。旦那しかいないんだ」
「ヤだよ、そんなじーさまな格好」
「でも、少佐は女性だし、バトーの旦那やボーマやサイトーは義眼だろ? 義眼のサンタなんておかしいし、パズは……カミさんの手前、アレだし」
「 ――― 消去法で残ったのが、おれってことか」
じっと考えをめぐらせ、疲れたようにイシカワは言った。
「旦那ならうまくいくと思うんだ。髪とひげを白く染めてもらって」
「染めるだぁぁ!?」
思わずひげを隠したイシカワの悲鳴が割れる。
「子供たちに会うときだけでいいんだ。頼む。この通り!」
「……。…………高いぞ」
トグサの顔がぱっと輝いた。
「あああ、ありがとう〜、旦那ぁぁ!」
「こんなことでそんな情けない顔するなって」
「こんなことじゃないって。これで子供たちに顔向けできるよぉぉ」
必要以上かと思われる感激を見せるトグサに、イシカワは内心、引いてしまった。
だが、
(まあこいつも父親なわけだし。こういうときくらいは、父親としての顔を立ててやるのも、同僚としての勤めかもしれんな)
と思うことにした。
トグサの美人な奥さんと会える楽しみについては、思考の底に押し込んでおいた。
「うわぁ〜、ホントにサンタさんだ〜」
夜も更けた頃に現れたサンタクロースに、娘のはしゃぐ声が部屋中に響く。
「ほら。夜も遅いからそんな大きな声を出さないの」
「わかった。ださない」
母親に軽くたしなめられ、娘はうきうきしながらも言うことを聞く。
大好きなサンタクロースが目の前にいるのだ。いい子であることを見せないと、すぐにいなくなってしまうかもしれない。
「ほう。いいこだね」
「えへへ〜」
イシカワサンタは素直に母親の言うことを聞いた娘の頭をなぜた。
「ねえねえ」
娘はイシカワサンタを見上げ、興味津々の眼差しで尋ねる。
「ん? 何だい?」
「サンタさんって、おとうさんとおともだちってほんとう?」
口元に手を当ててこっそり話しているつもりなのだろうが、はしゃいでいるせいで、声がしっかり洩れている。
ソファに腰掛け、様子を眺めているトグサは、一瞬ひやりとする。
だがイシカワサンタは、なりきって鷹揚に答える。
「ああ本当さ。おとうさんとわしは、ずーっと前から友達なんだよ」
「うわあ、すごぉい……」
目を輝かせる幼い娘。
「おとうさんって、サンタさんとさいしょにともだちだったときから、とってもつよかったの?」
父親の本当の職業を知るはずもないのに、娘は無邪気に尋ねる。
サンタは大げさなくらいに頷いて見せた。
「そりゃあもう。お父さんはすごく強くて、そしてとっても優しいんだ。いつもいつも、家族のことを想ってるんだよ」
「うん。おとうさんね、すごくかっこいいの」
父親を褒められて、小さな娘は嬉しそうに照れてみせた。
下の子供の様子を見に行っていた妻が、戻ってきてトグサの隣に座った。
「どうだった?」
「ぐっすり。起きないわね」
少し困った顔の妻。
せっかく夫の同僚がプライベート・サンタを頼まれてくれたのに、これではかえってイシカワに申し訳がなかった。
そんな彼女の心情を察したのか、イシカワサンタはやんわりと微笑みを返した。
「ほら。これをあげよう」
イシカワサンタは再び娘に視線を戻すと、持ってきた白い袋からプレゼントの包みを取り出した。
ピンク色の大きな包みに、娘の表情が途端に華やいだ。
父親の友達がサンタクロースだったことも嬉しいが、このプレゼントも楽しみにしていたのだ。
「ありがとう、サンタさん!」
プレゼントを胸に抱きしめ、両親のもとに見せに行く。
「よかったなあ、こんな大きなプレゼント」
「大切にしなくちゃね」
「うん!」
本当は、数日前にトグサが買っておいたものだったが、あたかもサンタからもらったものかのように振舞う親たち。
そんな彼らのところへ、イシカワサンタもやってくる。
「これは、夢の中にいるちびっこくんに」
「あ、ああ、ありがとう」
もっとぶっきらぼうに渡されるとばかり思っていただけに、トグサは一瞬言葉に詰まった。
イシカワがここまでなりきってくれるとは思わなかった。
それは、イシカワサンタの帰り際に、更にいっそうそう感じた。
ベッドに入った娘は、イシカワサンタに見守られながら眠りについた。
帰るイシカワを玄関まで見送るトグサ夫妻。
「ほんと、今日はありがとな。助かったよ」
「なに。1年に一度くらいはいいことしないとな」
「じゃあ、来年も」
トグサの言葉に、イシカワは苦笑する。
「言うねえ、お前も。……ま、考えとくよ」
「本当は、何か予定があったんじゃないんですか? 主人、無理を言ってしまったんじゃ」
気遣う妻に、いやいやとイシカワ。
「こいつが無理言うのは、いつものことだからね」
「旦那……」
「ああ、そうだ」
ごそごそと、イシカワは背中にしょっていた白い袋をあさりだした。
はい、と妻に渡されたのは、ラッピングをされた小さな箱である。
「? なんだこれ?」
「サンタが渡すものってったら、プレゼントしかないだろ」
「これ、もしかしておれたちに?」
「奥さんに」
わざとらしくイシカワは強調する。
「わたしにですか?」
「ええ。奥さんもきっとこいつに苦労してると思うんでね」
「苦労って、ナンだよその言い方」
「ありがとうございます。あの、本当にいいんですか、わたしにまで」
「クリスマスにはプレゼントをしたくなるものなのさ」
「…………」
呆れるトグサに、
「じゃ、メリークリスマス。楽しかったよ」
さすがに恥ずかしかったのか、イシカワは片手をあげて玄関から出て行った。
「メリークリスマス。今日は本当に、ありがとうございました」
ほんわりしたあたたかな空気のまま、イシカワは帰っていった。
「いいひとね、イシカワさんって」
「で、何もらったんだ?」
ダイニングに戻りながら、妻の手元をトグサは覗き込んだ。
「え? これ、あなたが用意してくれたものじゃないの?」
「おれは、……イシカワには預けないよ」
「じゃあ、ほんとにイシカワさんからの……?」
開いてみると、それはブレスレットだった。
トグサの目が、見張られる。
これは、ずっと前宝飾店に捜査で行ったとき、何の気なしに妻に似合いそうだと言ったことのあるブレスレットである。
律儀にもイシカワは、そのことを覚えていたのだ。
そうして、妻の腕で輝くブレスレットを見ながら、
(旦那からのプレゼントだとしたらナンか素直に受取り辛いんだけど、……そうかといって請求書をまわされるのも辛いものがあるよなあ)
と、フクザツな悩みを抱えてしまうトグサだった。
一方、トグサの住むマンションを出たイシカワは、雪の降り出しそうな空を見上げた。
「9課を引退したら、プライベート・サンタに登録申請でもしてみるかな」
そう呟く眼差しの片隅に、何やら怪しい動きのひと影をとらえてしまう。
彼が出てきた家には明かりがなく、きょろきょろと落ち着きがない。どう見ても、プライベート・サンタに扮した泥棒である。
「おいお前」
「ひっ!」
イシカワにかけられた声に、必要以上に男は驚き、ぱっと身を翻した。
サンタの扮装などなんのその、イシカワはひらりと男の前に躍り出た。声を上げて反撃してきた男の腕を取ると、イシカワはそのまま彼を投げ飛ばした。
放り出された男の袋から、宝石やら指輪やらがこぼれ出た。
「おめえやっぱり」
と、見下ろされた男は、すっかり気絶していた。
「プライベート・サンタ、こりゃ本気で考えてもいいかもしれんな。ついでに検挙率もあがるんじゃないのか?」
白目を剥いた若い男の情けない姿に、イシカワは溜息を禁じえない。
クリスマスの夜は、本当はトグサの妻のような美人と一緒に過ごしたいのだけれど……。
(相手が見つかる前に、プライベート・サンタになっちまうのは、遠慮願いたいな)
ネオンの明かりを映す空に、思わずにはいられないイシカワだった。
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