ハルカは突然目を覚ました。
まばたきを数回繰り返すと、ここは自分のベッドの中で、あれは夢だったのだとようやく思えた。
――― 夢。
首をめぐらせて時計を見ると、時間は少し早いが、起きるのにおかしな時刻ではなかった。
(夢……。でも……)
胸に巣食う、この不安な気持ちは何だろう。
ハルカは床に下りると、パジャマのままアトリたちが使っている部屋の戸を叩いた。
「はい」
すぐに声が返ってきた。トビである。
「ねえトビ、そこにカラス、いる?」
切羽詰ったような声に、トビはすぐに扉を開けてくれた。
彼は早起きだ。既に普段の格好で現れた。
「いや、いないけど。どうかしたの?」
「どうかしたってわけじゃ……ないんだけど」
歯切れの悪いハルカ。こんな時間に訪ねてくるのも初めてだったし、着替えもせずパジャマのままというのも珍しい。
ハルカの様子に、ちょっと待っててとトビは部屋の奥に消える。
「アトリ。アトリ、ちょっといいかな、寝てるとこ悪いんだけどカラスをさ……」
扉の隙間からトビの声が聞こえる。そっと覗くと、まだカーテンを閉めきった中、向こうで丸くなって眠るアトリの姿があった。トビは軽く彼を揺り起こし、カラスの所在を訊いてくれている。
(あんまり覗いちゃ……ダメだよ、ね)
なんとなく、ハルカは覗き込むのをやめた。
でも、 ――― 部屋にはカラスの気配が見当たらない。
どこに行ってしまったんだろう?
こうして待っている間にも、ハルカの胸に不安が積み重なってゆく。
「お待たせ」
再び扉の向こうにトビが現れ、ハルカははっと顔を上げた。
トビは、どこか申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん。アトリも知らないって言うんだ。庭は見てみた?」
「あ、ううん、まだ……」
夢から飛び起きて、真っ先にこの部屋に来た。
「屋根の上とか木に登ってたりとか、あいつ高いところでよくぼんやりしてるから、そういうところにいるんじゃないのかな」
「ああ、そういえば、そうだよね。判った。ありがとう探してみる。ごめんね早くから」
「気にしないで。僕はこの時間、いつも起きてるから」
励ますように、トビは笑みを見せた。小さく手を上げて、ハルカはもう一度自分の部屋に戻った。
窓にかかるカーテンを開くと、さっと眩しい光が飛び込んでくる。
夏は本当に、朝早くから空が明るい。
まどろこしく、ハルカは窓を開ける。
身を乗り出し、カラスの姿を探す。
「カラス? カラス、どこ?」
よく登っている木の上にも、庭のどこにもいない。屋根の上は、さすがにこの位置からでは確認できない。
屋根の上かもしれないし、向こう側の庭のどこかにいるのかもしれない。
カラスが消えてしまったというわけでもないのに、姿が見えないと息苦しささえ覚える。
あんな夢を見てしまったからこそ、とくに胸に迫りくる。
「カラス、カラス ――― !」
呼んでも、なのに彼の姿はどこにもない。
(どうしよう、正夢だったりしたら……!)
あまりにも怖くて、目の奥が熱くなる。
「カラス……」
「 ――― どうした」
突然、目の前が暗くなったかと思うと、すぐ目の前にカラスの姿があった。
高まっていた不安が、見る間に消え去ってゆく。
ほっとして、ハルカは知らずカラスの袖をきゅっと掴んだ。
「カラスが急に消えちゃう夢を見て……」
「それで取り乱してたのか?」
「だって……」
難しいことはよく判らないけれど、カラスがこの時空のひとではないことは確かなのだ。
ハルカに何も言わず、忽然といなくなることは充分ありうることなのだから。
ハルカの不安は、そのままカラスの不安でもある。
夢を見て心細がるハルカに、カラスの口元に笑みが浮かぶ。
そっと、ハルカの頭に手を置くカラス。
「大丈夫。お前に何も言わずに消えたりしない」
「……ホント?」
「ああ」
本当は、おれは消えたりしないと言って欲しかった。
「何も心配はいらない」
優しく頭を撫ぜるカラス。
安心させるような深い笑みとともに。
ようやく、ハルカの肩から力が抜けた。
「うん……」
頭を撫ぜてもらってほっとしちゃうなんて子供みたいだと思ったけど、それでもいまは、ずっとこうしていたかった。
カラスの手は本当に大きくて、ものすごく優しかった。
ずっとこのままそばにいてくれるのだと、思えてしまう。
それはとても心地のよい、願いだった ――― 。
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