あれから10年が経った。
ユウは中学からずっと東京で暮らし、ハルカたちは函館を離れても、相変わらず北海道で過ごしていた。
今日、この夜、ハルカはミホに誘われてアイとともに飲み会に出席した。
期待をするまでもなく、劇的な相手とめぐり会えるはずはなく、いつものように、場所を変えて女3人で飲み直しをしていた。
「あたし気になってたんだけどさあ」
軽い酔いに勢いづいたように、アイが言う。
「ハルカにはユウがいるでしょう? 飲み会に出るのって、遠距離だし後ろめたいとかなかったりしない?」
「んー、どうかな。べつに付き合ってるってわけじゃないし」
「でもメールとか毎日してるんでしょ? もしかしてあたしに気を遣ってくれてた?」
「そんなことないよ」
ハルカは、いつも飲み会に誘ってくれるミホに首を振る。
伸ばした髪が、背中でさらりと揺れた。
それぞれ違う大学に進んだ友人たち。絆を大切にしたいから、会えるときは会うようにしている。
「ユウとは連絡とってないってこと?」
「時々は、メールはするけど」
「付き合っては、ない?」
「……どうなのかなあ。そういうふうじゃ、ないと思う。少なくともいまは。というかアイこそどうなのよ。イサミ、やきもち焼くんじゃなあい?」
自分に振られ、アイはうっと言葉に詰まる。
「成人式の劇的な再会から付き合いだしてもう2年だもんねえ。実はマンネリ化してるとか?」
「ヘンなこと言わないでよ」
誤魔化すように、カクテルを口に運ぶアイ。
「ちゃんと判ってるってこと?」
「まあ、そんな感じ」
「そっか……。一応10年以上の付き合いだもんね」
ミホの言葉に、ハルカはふと遠い夏の日を思い出す。
そういえば、最近のアイは、アマミクに似ている。
あれから、10年。
ノエインが言っていたような残酷な出来事もなく、時空を侵食されるような事件も ―― いまのところはない。
ハルカたちの時空は、平穏な日々を選んで進んでいた。
「どうしたの?」
アイは口をつぐんだハルカの様子に気付く。
「ん? うん。あたしさ、……これ、ユウには内緒ね?」
「内緒?」
昔だったら内緒話に食いついてくるミホも、ハルカの声にひそむためらいに、気遣いの眼差しになる。
「あたし、カラスのことが好きだったの」
「……」
「……そんなの、みんな知ってるよ」
「ユウだって知ってる」
「そうじゃなくて。カラスが、好きだったってこと」
きょとんとし、目を合わせるアイとミホ。
ハルカはグラスを両手で握り締めたまま、そこに視線を落とす。
やっぱり、酔っているのかもしれない。
「ユウの15年後だから、じゃなくて、カラス自身が好きだったんだなあって。カラスは、ユウとは全然別人なんだって、最近なんだけど、判ってきた」
「それは……内緒にしておかなくちゃ」
「ユウじゃなくて、カラスが好きっていうことよね、それって」
アイに頷くハルカ。
「もしもあのときがいまだったら……、あたし、カラスを失うことに堪えられない」
発言したハルカ自身、緊張したその声に驚いたくらいだったから、テーブルの上に神妙な空気が落ちてしまったのは、しかたがないのかもしれない。
ユウは大人になっていくにしたがって、どんどんカラスに容貌が似てきていた。
けれど、何かが違っていた。
何かが、決定的にふたりを別人にさせていた。
それはふたりが辿ってきた経験の違いや時空の違いだろうけれど、はっきりこれだと指摘することはできなかった。
ただ、カラスとユウは全然違う人間で、ハルカが惹かれたのはカラスのほうだということ。
あの頃はふたりの違いの意味が混然としていてよく判らず、ただ大人のカラスのことが大好きだった。
はかりしれない大きな眼差しで自分を包み込むように優しく見つめてくれたカラス。
ものすごくあたたかで、安心できた。
いつもいつだって、自分を見つめてくれた眼差し。何があっても守ってくれたその大きな腕。
子供ながらに、そこから彼の愛を感じていたんだと思う。
そしてその深さは、――― ユウには見出せない。
ユウの選んだ未来の道は、求めていたカラスには繋がっていない。
ユウに会っても、何かが足りない、そう思えてならないのだ。
カラスじゃないんだと、いつも心のどこかで落胆をしていた。
――― それだけは、判る。
「あたし、ね」
いつもの場を明るくさせてくれる声とは違った、どこか想いを込めた声でミホが言う。
「言い訳じゃないんだけどね、その、いままで彼氏を作らなかったっていう」
「うん」
「実を言うと、ちょっと、待ってたりするんだ……」
そのまま沈黙してしまうミホ。
遠い眼差しを、テーブルに投げかけている。
これまで、何度も素敵な男性からアプローチを受けていた彼女。なのにどうしてか、誰とも付き合うことはなかった。
「待つって、何を?」
「何かの期限とか?」
ううんと、首を振るミホ。
意を決するように、僅かに唇が引き締められる。
「アトリを、――― 待ってるの」
ハルカとアイは、息を呑んだ。
「あのとき逢ったアトリはもういなくなっちゃったけど、でも、この時空のアトリはどこかで生きてる……かもしれないでしょう?」
故国のことを、戦争中と言っていた。
その戦いは、もう終わっているかもしれないし、まだ続いているのかもしれない。
現在どんな状況にあるのか判らないけれど、大人になった彼は、戦乱をくぐりぬけて生きているかもしれない ――― 生きていて欲しい。
「同じ世界にいて、同じ空気を吸ってる。ただそれだけで、あたし、すごく幸せな気持ちになるの」
「アトリのこと、好きだったんだね」
ハルカの言葉に、ミホはどこか恥ずかしそうに微笑んだ。
「みんなはアトリがあたしになついてたってよく言うけど、いま思うと、あたしがアトリにくっついてたんだなあって感じるの。――― うん。あたし、アトリが好きだった。いまでも、アトリのことを想ってる。どこにいるのか全然判んないけど、いつか、またいつか出逢えるんじゃないかって、そう信じてるの」
そう語るミホの表情はとても素敵で、同性のハルカも思わずどきっとしてしまう。
静かにミホの話を聞いていたアイが、突然笑いだした。
「ちょ、どうしたのよアイ、いきなり」
「うん。だって想像したらおかしくて」
「おかしい?」
「だって。カラスとアトリってすごく反発しあってたじゃない? もしもミホのところに来たアトリがユウと顔を合わせたらどうなっちゃうのかなーって考えたら、おかしくなっちゃって」
言われてみて、ハルカもちょっと考えてみる。
「んー。確かに、ひと波乱ありそうな気はするわね」
「あたしも否定できない……」
「でしょう? ま、面白そうな気もするけど」
3人は少しだけ笑いあい、そうして、ぽつりと沈黙がおりた。
カラスもアトリも、もう10年前に別れたきり、そこで接点は途切れてしまってる。
ハルカは、ユウとは別人だと自覚したカラスのことを想い、ミホは、遠い過去に別れたアトリの生死すら判らない。どころかきっと、アトリはミホの存在を知らないだろう。
あと数週間で、未来からやってきた竜騎兵たちと出逢って、ちょうど10年になる。
言葉に出さなくとも、誰もがそのことを考えていた。
「あたしたち、そんなにも長く友達してんのね」
しみじみとアイ。
「女3人の友情がこんなにも続くなんて、貴重よね」
「10年前のイサミだったら、『アリエネエ〜』って騒いでたわ」
「ああ、それ絶対言うよね」
「口癖だったもんねえ」
ほんのり降りていた寂しげな空気を払拭させようとするかのように、3人は声を上げて笑いあった。
「 ――― アトリと、出逢えるといいね」
心の底から、ハルカは思った。
嬉しそうに頷くミホに、ハルカ自身、励まされる。
ものすごく遠い存在になったカラス。
いつか、ミホがアトリと出逢うことができたら、ハルカ自身の気持ちも、何らかの形で決着がつくような、そんな気がした。
そうして。
「あたしたち、あのときのことをこうやって飲みながら話せるようになっちゃったんだ。年取ったなあ」
「うわあ、ハルカそれは言っちゃだめだってー」
打ちのめされたようにアイ。
「そうよう。もう結婚して子供だっている同級生もたくさんいるんだから」
「え!? ねえ、もしかして、あたしが知らない話もあったりする!?」
情報源のミホは、にんまり笑みを返す。
「ふふー。それが、実は6年のとき隣のクラスだった子なんだけどね」
「うんうん」
自然、ミホに身体が傾くハルカたち。
軽く酔ってはいるものの、こういうことに関する意識はハッキリしている。
時間はもうすぐ日付を越えようとしている。
飲み会で幸か不幸かイイ相手と出会えなかった3人の女たち。
彼女たちの夜は、まだまだ終わりそうにないようである。
|
|