もうすぐハロウィンがやってくる。
街中がハロウィン支度をする様子は、冬に向かって閉じゆく気持ちを華やがせてくれる。
「ええ〜!? エステルさん、明日休みじゃないんですかぁ〜!?」
ひっくり返った声が、そんな街に響く。
何事かと街ゆく人々は振り返ったが、当の発言者はまったくそれどころではなかった。
この時期は騒ぎが起こりやすいからと、街の見まわりの任を預かったふたり ―― アベルとエステルである。
本来なら、明日は久々にふたり一緒の休日だったのだが、
「シスター・ニナが入院しちゃったんですもの、仕方ありませんよ」
平然とエステルは言う。
ハロウィンのお菓子を胸に抱いたアベルは、不服そうな顔を隠しきれていない。
「神父さま。子供じゃないんですから、そんな駄々をこねる顔しないでくださいまし、恥ずかしい」
「ですけど〜」
「べつにいいじゃありませんか、休みなんていつでも取れるんですし」
ぶつぶつ不満をたらすアベルにそう言うエステルだったが、しかし彼女の考えは少々甘かった ――― 。
ハロウィンが終わると、季節は一気に冬へと走り出す。
街を駆け抜ける風は冷たさを増し、人々は厚く服を着込み、背も丸くなる。
教皇庁の木々も葉を落とし、骨のような枝が曇り空に伸びている。
エステルは、中庭をめぐる回廊の半ばで、足を止めて目の前の人物を見上げていた。
「出張……、ですか?」
「はい。アマルフィで漁師さんたちの間に幽霊話が広まっているらしくて。 ――― どうしたんです?」
「あたし、明日休みになったんです」
「ええっ!?」
カエルが踏まれたような悲鳴を、アベルはあげた。
「シスター・ニナの代わりに仕事したときの代休なんです。神父さま、明日がお休みっておっしゃってましたから、それに合わせようと思ったんですけど……すれ違いですね」
アベルは、出なくなった言葉を飲み込んだ。
お決まりのように、冷たい風がふたりの間を吹き抜けてゆく。
「でも、勤務中はだいたい一緒に行動してますし、意地になって同じ日にお休みを取らなくても、別に、いいんですよね」
「……」
「出張、お気をつけてくださいね」
脱力も脱力。アベルはただ呆然と、床に目を落とすエステルを見下ろすしかなかった。
そんなこんなで、休日のすれ違いは続く。
誰かの陰謀ではないかとも思えるほどに、休日のみならず、次第に勤務中もふたりの接点はなくなってゆく。
すれ違いばかりが重なって、季節は過ぎ、いつの間にかクリスマスイブの夜がやってきた。
聖天使城にはクリスマスミサに出席する要人が多々集まり、警備は物々しい。
エステルは、そんな彼らをもてなすパーティの警備の担当となり、ミサに出席どころではなかった。
アベルはというと、聖天使城の警備に当たっているので、エステルと顔を合わせられない。
(パーティが終わったら、神父さまを探してみよう。あ、ここの残り物をもらっていっちゃおうかな)
そう自分に言い聞かせながら、エステルは会場の警備に意識を向けた。
――― パーティは厳かに始まり、そして何事もなく無事に終わった。
要人たちを部屋に送り、ようやくエステルの仕事は完了する。エステルは大急ぎで大聖堂へと向かった。
時間は真夜中をかなり過ぎていたが、ほんの僅かでも逢えるかもしれない。
12月に入ってからは、アベルの顔すらも見ていないのだ。
遠くからでもいい、彼の姿を見たい。
アベルの仕事は、もう終わっただろうか。それとも、人々の絶えない聖天使城の警備をまだしているのだろうか。
大聖堂内には、遅い時間にもかかわらず、やって来る信者は少なくない。
エステルは、きょろきょろとアベルを探した。でも、どこにも見当たらない。警備に当たる者はいても、その誰も、アベルではなかった。
「おや?」
ふいに、聞き覚えのある声に呼び止められた。
はっと振り返ると、それはワーズワース教授だった。
期待してしまっただけに、落胆は隠せない。
「ん? 何だねその顔は」
「あ、いえ」
「仕事はもう終わったのかい?」
「はい」
答えながらも、目はアベルを探していた。教授がそれを見逃すはずがない。
「そういうことか……」
「え?」
「残念ながらきみのお目当ての人物は、街の警備に行ってしまったよ」
誰を探しているのかどうして判るのだろうという疑問も浮かばず、エステルは教授の言葉に目を見張った。
その眼差しが、だんだんと力を失ってゆく。
判りやすい娘だと、教授の表情が和らぐ。
「どうしたね?」
「あの……。わたし、明日から1週間ほどジェノヴァで研修が入ってるんです。最近お会いできていないので、ナイトロード神父に挨拶をと思ったんですが……」
「ああ……。 ――― ミラノ公にも世話が焼けるな……」
「はい?」
後半の部分は小声過ぎて、人々のざわめきで聞こえなかった。
「いや、何でもない、こちらの話だ。明日から研修だとすると、アベルくんを探す時間はないな。ふむ。では、わたしから彼に伝えておこう、きみが切ない顔して逢いたがっていたと」
「はっ、博士!?」
「ときにそれは、アベルくんへの差し入れと見たが?」
慌てるエステルを無視し、教授は彼女の持つ包みを指差した。
「え!? あ、あのっ」
しどろもどろな様子は、しかし思いきり肯定を意味していた。
「何としても探し出して、直接手渡しさせてあげたいんだが……、明日から研修のある身をこれ以上遅くまで連れまわすわけにはいかないからね」
「 ――― あの。やっぱり、いいです、教授。ナイトロード神父は、まだ勤務中でしょうから、ご迷惑をおかけしてはいけませんし……」
ここで失礼します、と、エステルは教授に頭を下げて大聖堂を後にした。
寂しげなその後姿がひとごみの向こうに消えるまで、教授はずっと彼女の姿を目で追っていた。
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